望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

希望ではなく怒りを動員

 2期8年の任期を全うして2017年1月に退任した米オバマ大統領は大統領選で、「Yes, we can change」という前向きのメッセージを繰り返し、「世の中は変えることができる」「世の中が変わるんだ」という期待を一身に集めて当選した。そして新しい政策や方向転換が行われて幾つもの変化が生じたが、当初の期待が大きすぎたためか、米社会や世界が大きく「善い」方向に変化したとの印象は薄い。

 大統領に就任したトランプ氏は、まず暴言で名を上げ、注目を集めるようになった。その暴言は移民やイスラム教徒、女性などに対する否定的なメッセージでもあり、政治家にとっては致命的ダメージになるような発言も多かったのに、暴言も積み重なるとマイナス評価が薄められて変質するのか、どれも致命傷とはならず選挙で勝利した。

 トランプ氏にも前向きなメッセージがあった。それは国内に向けた「Make America Great Again」「America first」というもので、「Change」に対するような国際的な期待は広がらなかった。衰退するアメリカに苛立ちを感じる米国人には支持されたが、アメリカの経済的利益を最優先し、軍事的にも世界展開を見直すというメッセージは、各国からは懸念をもって受け止められた。

 米国内の大統領選なので候補者が、国内向けにウケのいいことを言うのは当然だ。だが、衰退したとはいえ世界1の大国であるのだから、大統領になろうという候補者の発するメッセージは国境を越える。だから候補者は世界の指導者にふさわしい理性的な人間であることを示そうとするが、トランプ氏は国内向けに徹したのか粗野に振るまい続けた。

 オバマ氏のメッセージもトランプ氏のメッセージも「世の中を変えよう」との主張だが、方向は反対だ。オバマ氏は普遍的な価値観に基づいて、米国と世界を「善い」方向へ変えようと訴え、トランプ氏は米国から阻害要因を排除し、世界経済の枠組みを再構築して「良きアメリカ」を再現しようと訴えた。

 オバマ氏の発していたのは、世界との関わりを肯定的にとらえるメッセージだったが、トランプ氏が発したのは、米国を蝕む「敵」を攻撃し、普遍的価値観を軽視する否定的なメッセージだった。オバマ氏は人々の希望を動員することで選挙に勝利し、トランプ氏は人々の怒りを動員することで選挙に勝利したともいえよう。

 世界の指導者を演じるなら普遍的な価値観を尊重することが必要になるが、アメリカ1国の指導者に徹するなら、アメリカの利益の最優先を強調するのは自然だろう。それは、各国の指導者が演じてきた姿勢であり、トランプ大統領の誕生はアメリカが他国と同格の位置に座り直そうとしていることの現れである。

 ただ、「アメリカ第一」に対置されるのは「日本第一」「ドイツ第一」「イギリス第一」「ロシア第一」「中国第一」などであり、普遍的価値観の軽視がもたらすのは、各国がそれぞれの国益をむき出しにする緊張した世界であろう。とはいえ、そうした世界の中から、より現実に即した新たな普遍的価値観の形成が進むであろうし、そうした価値観に影響されて世界が変化し続けると見るなら、トランプ氏は歴史の歯車を動かすことに貢献したのかもしれない。