望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

話法の効果

 話すときに身振り手振りが大きな人がいる。話すことに熱中して、つい身体も動いてしまうのだろうが、意識して身振り手振りを大きくしている気配の人もいる。それは、自分の話に演出を加えているようにも見え、聞き手に違和感を感じさせたりする。

 評論家や大学教授、作家ら「文化人」で身振り手振りが大きな人は少ない印象だ。主観に偏らず理性的に話そうと論旨を組み立てつつ的確な言葉を選んで話すために脳をフル回転させているのだろうから、身体の動きが抑制されるのか。ただ、言葉を溢れるように撒き散らしつつ、身振り手振りが大きい人もいて、個人差は大きい。

 言葉を次々と流ちょうに連ねる文化人は、「この人は講演に飛び回って、けっこう稼いでいそうだ」との印象を持たれたりする。具体的なエピソードを交え、適度に聴衆を笑わせる言葉も用意し、主張するところは強く言い切るなど、プロの話し手の技術は高度だ。

 一方、文化人の中には流ちょうに話さないことで誠実さを漂わせる人もいる。考え考え、言葉を選んでポツポツと話し、それらの言葉を文字にすると、そのまま文章になっていたりする。日頃から口述筆記などを行っているのかもしれないな。

 身振り手振りが大きくない人でも話し方などにそれぞれ個性があり、それらも聞き手は言葉と一緒に受け止める。詐欺にあった人が「真面目そうな人で悪い人に見えなかった」などと言うが、表情や態度などもフル活用し、聞き手の反応を常にうかがっているだろうからプロの詐欺師の会話術も高度だ。

 流ちょうに話さず、考えながら話している風情で言葉をポツポツと紡ぐ人の中には、話した内容が平凡なのに独創的なことを言っているように受け止められる人もいる。深刻そうな表情で、考え考え話している風情に聞き手は騙されるのかもしれない。

 例えば、深刻そうな顔つきで考え考え、「雲が、出てきて、小雨が、降り始めたから、これから、天気が、崩れるかもしれない」……正しいことを言っているのだろうが、ありがたがって拝聴するほどのことではない。こうした話し方をする人は文化人の中にもいて、ファンがついていたりする。