日本政府は英語教育に熱心だ。経済界からの要請なのか、英語を駆使してグローバルに活躍できる日本人を増やそうと躍起になっているように見える。読み書きに加え、聞いて話す能力も高めなければならないと、あれこれと制度をいじる。
日本政府が英語教育に熱心になるのは、実質的な世界共通語に最も近くなったという英語の位置づけの変化が影響している。経済がグローバル化し、インターネットが世界を結ぶ現在、企業は初めから新入社員に相応の英語能力を要求する。そのために英語教育で多くの学生に「使える」英語を身につけさせることが必要になったと見える。
一方で、日本語という独自の言語による高度な文明を築いている日本では、日常において英語の必要性は乏しく、英語の高度能力は必要な人だけが習得すればいいとの考えもある(商売や学問などで英語が必要な人は日本では1割程度だともいう)。英語に流暢な日本人が増えれば外国からの観光客を歓待するために役立つだろうが、日本人が皆、観光ガイドになる必要はない。
英語教育の目的は何か。実用的な語学能力を習得することであるなら、語学学校がある。教育制度をいじるより、語学学校へ学生・生徒を通わせることに助成するほうが効果的かもしれない。大学や高校を語学学校にしたいのなら、入試よりもカリキュラムを全面的に変えたほうがいい。
英語教育の目的が揺らぎ、経済界などからの要望に影響されたため、あれこれと制度をいじることが続いていると見える。英語教育の目的が揺らいでいるから、過去の英語教育が効果を上げなかったと映り、その原因を調査・分析するにも視点が定まらない。あれこれ改正点を打ち出しても、目的が揺らいでいるから対処療法で済ますだけ。
学校教育で英語を習得できないことは批判されたり揶揄されたりするが、日本語の読解力や数学などの基礎的学力に乏しい学生・生徒は珍しくないとも言われる。だが、嘆かれるだけで、学校教育の見直しを要求する声は経済界などから明確には上がらない。英語教育の「成果」は見えやすいから、経済界などからの要求が強まるのだろう。
言語を身につけるには「習うより慣れろ」が有効だという。好きなハリウッド映画を繰り返し観たり、ビートルズの歌を全曲覚えて、聴く力・話す力を身につけた人もいる。学校教育をあれこれいじるよりも、地上波テレビに米国放送局の参入を認め、そのまま番組を放映させて誰でも英語に日常的に接する機会を広げたほうが、効果があるかもしれない(日本の植民地化を促進するとの批判が出てきそうだが)。