望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

鎌倉リアリズムは何を意味するか

 鎌倉リアリズムという彫刻様式が生まれた背景には、平安末期の戦乱のあと多くの大寺院が再建事業に乗り出し、仏像制作における技術的洗練が進み、仏師たちが身体の革新的な表現に取り組んだことなどがあるする加藤周一氏(『日本その心とかたち』)。詳しく見てみる。

 芸術における「様式における革新は有力な様式を否定し、もっと前の時代の様式との親和性を見せるもの」「この意味で鎌倉時代の仏師は革新的だったのであり、天平時代の様式の復興を目指したのだった」。

 「技術的洗練は、平安初期から鎌倉初期にさらに進んだ」「玉眼によって眼のさまざまな表情が生まれ、たとえば鋭い眼光や凝視の表情などを表現するのにきわめて効果的であった」「日本の木彫技術は、細部の扱いにおいて、この時代に最高の水準に達した」とする。

 「鎌倉時代の仏師たちがめざしたのは、天平仏の立体感と人間の身体の理想化である。その過程において、正面性の強調から立体的造形へ、やせた硬い体から豊かで柔軟性のある身体へ、身体を覆い隠す衣から微妙に身体を想像させる衣の襞の表現へと特徴は移行した」

 「身体の理想化は仏像の種類によって違う」「如来や菩薩の像において理想化のめざすところは、穏やかで整った顔、豊かで柔軟性があって均整のとれた身体である」「これらの像は基本的に静的で優美であり、穏やかな永遠性をたたえている。身体各部の均整において各像は人間的であるけれども、それらは、感覚的世界(色界)や感情の起伏(欲界)を超えた存在の超越性を表している」

 東大寺南大門の仁王像の「筋骨隆々たる表現は、基本的にはその力の強さの誇示が目的」「この二体の立像は、人体にならいながらも人間をはるかに超える力を放射する、一種の超人となっているのだ」

 「鎌倉時代の代表的な作品は、それが菩薩像であっても仁王像であっても、人間の身体から出発して人間を超える。仏像の人間化は、必ずしも現実の人間の写実ではなくて、むしろその『理想化』である。もし『理想化』と『リアリズム』とを対立概念と考えれば、この様式を『リアリズム』とよぶのは適切ではないだろう」「理想化されて人間を超える像は、時間の外に立つ。菩薩像が慈悲の表情をたたえ、仁王像が威圧するのは、慈悲や威圧がそれぞれの本質だからである」