望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

特異な体型

 人間の体型は痩せ型から肥満型まで幅広く、手足の長短、頭や顔の大きさなどが組み合わされて個性が形成される。体型には標準型とされるものがあるが、その数値は大量の測定結果の平均値で決めるしかない(標準値には客観性が不可欠)。

 体型が問題とされるのは、健康との関連で疾病のリスクが高まると懸念される場合で、肥満などの改善が医者から求められたりする。スポーツ選手にも肥満型の体型に見える人がいるが、脂肪による肥満ではなく、トレーニングで筋肉が増えた結果だろう。

 スポーツによって鍛えるべき筋肉の部位は異なる。水泳のように全身運動なら全身の筋肉が均等に発達するだろうが、スポーツによっては特定の部位の筋肉が際立って発達することは珍しくなく、また、体重が重いほうが有利になるなら太ることを厭わなかったりする。

 そうして形成されたスポーツ選手の体型は一見、標準体型からかけ離れた特異なものとなる。勝つために最適な部位の筋肉を鍛えたという目的合理性を追求した結果だが、スポーツ選手だと認識しない人には、そうした特異な体型が奇異に見えたり、単なる肥満体型などと誤解されるかもしれない。

 勝つために筋肉などで肥大させた肉体を持つスポーツ選手の代表格は力士だ。全体の筋肉が均等に発達した力士もいるが、体重を増やすために肉体が膨張し、かなりの肥満体型に見える力士も多い。取り組みでは俊敏に動き、凄まじい力を見せ、脂肪に満ちた肥満体型ではなく、鍛え上げた肉体であることを示す。

 だが、力士をはじめスポーツ選手は、鍛えた肉体で勝利を得る一方、衰えや負傷など肉体の衰弱とともに勝利は遠ざかる。引退ともなれば、残るのは特異に発達した肉体であり、激しいスポーツを離れた平穏な日常では、そうした肉体は無用の長物と化す。

 スポーツの世界に最適な肉体は、日常の世界に置かれると標準を逸脱した特異な体型となる。もちろん、どんな体型であっても個人としての尊厳が損なわれることはないが、もう勝利を目指すことがないのだから、無用で過剰な筋肉をまとった肉体となる。