望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

シェアリングと共産主義

 中国で自転車のシェアリングサービスが急速に普及し、ライドシェア(自動車の相乗り)の配車サービスなども広まっているという。一方でシェア自転車が増えすぎ、どこにでも乗り捨てられた結果、放置された自転車がいたるところに山積みになって社会問題化しているとも伝えられた。

 シェアリングサービスが中国で受け入れられたのは便利だからだが、所有という概念の否定でもある。自転車を使いたいときにスマホで探し、近くにあるシェア自転車を利用して、使い終わったところで乗り捨て、安価な料金はスマホで決済できる。いつでも使用できるのだから、自転車を個人が所有する必要性はない。

 所有と使用の分離は目新しいものではない。晴れ着などのレンタルや貸し別荘、レンタカーなど必要な時に借りるというサービスは日本でも広く行われていて、図書館での図書貸し出しや住宅の賃貸など、所有せずに使用するという経済活動は一般的だ。しかし、シェア自転車などの普及は目立ってはいない。

 なぜ中国でシェアリングサービスが急速に普及しているのか。第一は、スマホ普及とともにモバイル決済が急拡大したことだろう。第二に、膨大な人口(自転車や自動車などを持たない人の膨大な使用ニーズが潜在していた)。第三に、使いたい時に使いたい場所で使うことがスマホにより可能になった。

 何かを求めている人がいるときは、商売の絶好のチャンスである。求められているサービスや商品を、求められている将にその時に提供するのだから、商機を逃さない。使いたい時に使うことができるサービスは利用者にとって便利であるから歓迎されるが、提供者は自転車などを広く配置しておかなければ商機を逃すことになるから、自転車が街中に溢れることになる。

 中国でシェアリングサービスが普及した背景に、共産主義体制であることも関係しているかもしれない。現在でも中国では土地は公有(国有)であり、私有財産よりも公権力が上位にある(個人の権利が軽視されるのも、個人が権利を所有することを認めないからか)。所有( 私有)という概念がそもそも希薄だったから共産主義体制の中国でシェアリングサービスが受け入れられやすかった。そう考えると中国でのシェアリングサービスの爆発的普及が納得しやすい。

 豊かな先進国では私有(所有)が一般的である。住宅、自動車、家電、衣服など大量のモノを個人は所有し、また、さらなる所有を欲望することが当然とされ、それにより大量生産が支えられている。私有財産の拡大を目指して励むというのが資本主義社会における生活だが、必要なモノは行き渡っている。

 シェアリングサービスの拡大は高度資本主義の豊かな社会にとって、一つの未来像かもしれない。所有(私有)に頼らない経済活動を活性化させることは、拡大再生産の行き詰まりの打開策ともなろう。誰もが豊かになれるわけではなくなり、生活のミニマム化が進む中で、私有と利用を分離し、共有経済を発達させることは共生社会の基礎となる。