望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

Y・P体制の現在

 第二次大戦後の国際秩序の枠組みをY・P(ヤルタ・ポツダム)体制と称することがあり、これは1945年の降伏後の日本を拘束する体制でもあった。戦勝国である米国の支配とそれに対する従属というのが大枠だが、日本側も、米国から「与えられた」平和と民主主義を絶対視することで支えていた。

 ソ連の領土だったクリミア半島に、第2時大戦中の1945年2月に米英ソの3首脳が集まり、大戦終了後の戦後処理などを話し合い、戦後の国際秩序の大枠を決めたのがヤルタ会談。この国際秩序はヤルタ体制ともよばれ、実質的に米ソが世界分割支配(冷戦体制につながる)で合意したものだ。

 ポツダム会談は、ドイツ降伏後の1945年7月に独ポツダムに米英ソの3首脳が集まり、ドイツの戦後処理や日本の降伏条件などを話し合った。ポツダム宣言は米英に加え、会談不参加の中国が同意して7月26日に発表された(ソ連は対日宣戦布告の後に参加)。日本に無条件降伏を要求し、戦後処理方針を明確化した。

 第2次大戦戦勝国である米ソ両大国が主導する国際秩序とは、相互の勢力圏を認め合い、両大国から離れたアジア、アフリカ、アラブ圏、南米などでの小競り合い(地域紛争)を繰り返すが、相互の勢力圏の大幅な書き換えは行わない(冷戦体制)。

 米ソによる世界分割支配であるY・P体制では、政治・経済的に大きな影響力を米ソが維持したが、思想や文化などでも戦勝国主導による価値観(秩序)が特に敗戦国には押し付けられた(敗戦国が保持してきた価値観と対立する場合、それらを受け入れるために敗戦国は時には自己否定を強いられて、人々は感情的な反発を内包した)。

 このY・P体制は、ソ連崩壊と後継国家ロシアの弱体化によって終わった。米ソによる世界の分割支配から、米国という1強が突出して世界に大きな影響力を持つという国際秩序に移行した。米国はアフガン戦争やイラク戦争などで米国主導の世界秩序を明確化しようとしたが、反対に米国だけでは国際秩序を維持できないことが示される結果になった。

 厳密には第2次大戦戦勝国ではない中国が、新たな大国として米国と対立する構図は、ソ連を中国に置き換えたY・P体制のようでもある。だが、米国は中国と世界を分割支配することを拒否しているように見える。経済力以外で中国の世界に対する影響力が限定的であることも、新たなY・P体制の出現を阻んでいる。