望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

マイナスとプラス

 気温にはプラスとマイナスがある。天気予報で日常的に接しているから当然のことと受け入れているが、セ氏(℃)単位は水が凍結するのを0度、沸騰するのが100度と決めて制定したものだ。水は生物の生存に欠かせないものであるため、水の状態変化を基準にすることは自然な発想に見える。

 水が凍結するのを0度としたので、それより低い気温はマイナスとなる。冬季には気温がマイナスとなり、路面が凍結したりするので、プラスとマイナスの設定は季節感にも生活実感にも馴染んでいるようでもある。だが、マイナスという設定は人為的なものだ。

 セ氏とは別の0度に絶対零度というものがある。原子・分子の熱による振動がすべて静止する温度であるセ氏マイナス273.15度のことで、そこを0度とし、セ氏温度と同じ目盛間隔で温度を表す。絶対温度にはマイナスはなく、プラスの温度だけの世界になる。

 プラスとマイナスは基準を設定することで現れる。例えば、一つの線分のどちらかの端を0(基準)とするなら、線分上は全てがプラスとなる(あるいは、全てをマイナスとも設定できる)。線分の中ほどのどこかに0(基準)を設定すると、そこでプラスとマイナスに分かれる。

 気温以外にも人間社会には様々なプラスとマイナスがある。人間が物事や人物を評価するときに、加点評価はプラス、減点評価はマイナスとして判断するのだが、基準の設定は各自で異なる。異なる基準による異なる見方があるから、人間社会では対話が必要となる。

 絶対零度という考え方にならうと、この世界に存在するものはプラスだけになる。プラスだけの評価は加点するのみであり、肯定するだけとも見えたりしよう。一方、マイナスだけの評価をする人もいて、否定するだけと見えたりする。都合よく使い分けたりすると、公平で客観的な評価ができない人だと敬遠されるかも。

 存在するものがプラスで、存在しないものがマイナスと考えると、ある人間が所有していない何かは当人にとってマイナスの存在である。所有していないから欲しくなる。つまりマイナスの存在とは欲望の対象でもあり、所有する(プラスに転化する)ことを欲望し続けてきたのが人間の歴史か。