望潮亭通信

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他国への侵攻

 イラク軍が1990年8月2日、クウェートに侵攻して数時間で全土を制圧した。クウェートに樹立された暫定政府の要請でイラク軍が進出したというのが当時のイラク側の説明。だが、クウェートの増産による石油価格低迷にイラクは我慢できなくなり、領土的野心もあってクウェートの属国化を狙ったなどとの解説がある。

 同2日、国連の緊急安保理は「イラク軍の即時無条件撤退を求める決議」を採択、さらに安保理は同25日にイラクに対する限定武力行使を認める決議、11月29日に武力行使を容認する決議を採択した。サウジアラビアを守るために米軍やアラブ連合軍が8月に派遣され、英仏やソ連も加わって多国籍軍が形成され、翌91年に湾岸戦争が始まった。

 トルコ軍が2019年10月9日、シリア北東部に侵攻して軍事作戦を続けている。敵対するクルド民兵組織を排除するとともに、シリア国内に非武装地帯を設置してトルコ国内から200万人以上のシリア難民を移す狙いだという。トルコとの電話会談の後に米国はシリア駐留米軍を撤収させ、トルコ軍の行動を黙認し、クルド人勢力を見捨てた構図だ。

 国連安保理は同10日に緊急の非公開会合を開いたが、安保理としての声明を出すことはできず、欧州6カ国が軍事行動の停止を求める声明を発表した。16日にも安保理は非公開会合を開いたが、「深く憂慮している」との報道発表を出しただけ。隣国シリアからのトルコ軍の撤退を求める声明も決議も出すことができなかった。

 イラクもトルコも隣国に侵攻したことは共通するが、国際社会や国連の反応は大きく異なる。イラクに対しては国際的な批判が高まり、安保理もすぐに即時無条件撤退を求めたが、トルコに対して国際的な批判は出ているものの批判のボルテージは抑制的で、安保理も即時無条件撤退を求めていない。

 2つの侵攻の共通点は①自国の判断だけで隣国に自国軍を侵攻させた、②その軍事行動を支持する他国が存在しない、③その軍事行動の目的に理解を示す他国が存在しない、④軍事力で劣位な相手に対して侵攻した。2つの国に共通するのは、①強権的な指導者が独裁的に権力を掌握している、②欧米諸国やロシアなどと親密ではない。

 2つの侵攻の相違点は、第一にクウェート産油国英米などと密接な関係にあったが、シリアは英米などと敵対している、第二に米英などはサウジアラビアへのイラク軍侵攻を阻止する必要があったが、トルコ軍の作戦範囲はシリア内にとどまる見込み、第三に欧米はイラクと敵対したが、トルコとはまだ敵対には至っていない。

 欧米にとってアサド政権のシリアは、守る価値がない国なのだろう。守る価値がない国を守るために多国籍軍を形成して自国の兵士を危険に晒すことはできないというのは合理的な判断でもある。欧米にとってトルコは、イラクとは違って、欧米サイドから離反させたくない国で、まだ利用価値があると見ているようだ。だから、トルコの他国への侵攻も容認される。