望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

蝶々とハンスの遍歴

 凄惨な戦闘シーンをスローモーションを多用して描いたサム・ペキンパー監督の映画「戦争のはらわた」で使われているのが、日本では唱歌「蝶々」として知られている曲。だが、歌詞はドイツ語で、その内容は唱歌「蝶々」とは全く異なる。

 唱歌「蝶々」はドイツの古い童謡に「菜の葉にあいたら 桜にとまれ」などとの日本語歌詞をつけたものだが、ドイツ語の歌詞は、幼い男の子ハンスが遍歴の旅に出て、大きくなったハンスが故郷に戻ってくるが、すっかり変わっているので誰にも見分けがつかなかったものの、母親だけはすぐにハンスだと気づいたというストーリー。

 故郷に戻ってきたハンスが、母親以外には見分けがつかないほどの変貌を遂げていたという歌詞が示すのは、ハンスが旅の間に異郷で時には過酷な体験をしただろうということだ。よそ者を温かく迎え入れてくれる土地ばかりではなかったろうし、生き延びるためには何でもやらなければならなかったハンスは、世間擦れした大人に「成長」して故郷に戻ってきたのだろう。

 故郷にとどまって暮らしていれば、体験しなかったことや知らずにいただろうことを旅に出たハンスは体験し、知った。楽しく穏やかな体験ばかりであったなら、ハンスは幼かった頃の面影を宿している青年に成長したかもしれないが、異郷での体験がハンスを変えてしまった。

 「戦争のはらわた」でソ連軍と戦うドイツ軍が展開しているのは、クリミア半島の東側のタマン半島という設定だ。そこはソ連領土であり、ドイツ軍ははるばる「旅」に出てきて、ソ連軍の激しい反撃に追い立てられ、ドイツ人らは過酷な体験を余儀なくされた。

 独ソ戦でドイツ軍は約500万人が戦死・戦病死(ソ連軍は約1100万人)し、民間人を含めると独ソ両国で3000万人以上が死亡したという。生き残ったドイツ兵もさらに過酷な体験をしただろうし、やっと帰ったドイツの故郷も戦火に見舞われていたかもしれない。過酷な体験をしたドイツ兵はすっかり変わってしまっただろうが、故郷ももう昔のままではなかっただろう。

 人間が傷つけ合うことを強調して描いても商業映画として成立すると諸作品で実証したペキンパー映画だが、暴力を肯定することを狙ったわけではない。むしろ、暴力をスローモションなどで強調して描くことによって、争い傷つけ合って生きる人間の悲しさ、哀愁のようなものを浮かび上がらせた。