望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

子供の悲惨な写真

 数年前にシリア北部アレッポで、反体制派が支配する地域にアサド政府軍とロシア軍によるとみられる空爆が続き、少なからぬ民間人の死傷者が出ていると報じられた。欧米メディアでは、崩れたビルから救出された子供の姿など、悲惨さを強調し、同情心を煽る写真が大きく扱われた。

 アレッポから悲惨さを伝える情報発信が行われるのは、国際的な人権組織が入って活動していたからだ。アサド政権の支配地域では活動に制約があるということなので情報は乏しく、おそらく米軍主導の有志連合がISに対して行うという空爆によっても民間人に被害が出ている可能性があるが、それらの地域での悲惨さはほとんど伝えられない。

 新聞やテレビ以外にネットによる情報発信も活発になったが、情報源に制約があり、特定の意図に沿った情報誘導が行われることも珍しくない。シリア内戦に関して膨大な情報が発信されているが、それらの情報を熱心にフォローしたとしても、シリア内戦の正確な偏らない全体像が構築できるとは限らない。民間人の犠牲の悲惨さに心を痛め、同情するのは自然だろうが、同情するように情報操作されている可能性がある。

 欧州メディアには「前科」がある。ボスニアコソボの紛争で、子供を含む家族の殺害された写真や女性の被害など、対立する一方の側の被害だけを強調して世論を誘導し、NATOの介入などへ道を開いた。メディアに特定の意図はなく、その時々のニュース価値だけで判断していたのかもしれないが、結果として、対立する一方の側の暴力に対する批判だけを高めることに協力した。

 傷ついた子供の写真を見せられると、人は感情を揺すぶられる。助けてあげたい、救ってあげたいとの思いを刺激されるが、写真に写った傷ついた子供は遥か遠くの土地にいるので、何もしてあげられない。その種の無力感は、例えば、空爆を行っている国や組織に対する怒りを増幅させよう。傷ついた子供がいるのだから怒りには正当性が与えられようし、感情に支えられた正当性は、相手側に対する攻撃(反撃)を正当化したりする。

 子供を傷つけているような国や組織に対する攻撃が行われると、そこでも傷つき、死ぬ子供たちや民間人が出るのだが、そのような写真が発信されたとしてもメディアはもう取り上げないだろう。非道な「敵」に「罰」を与えることを支持するように世論を形成したなら、それに疑いを持たせるような報道は控えられる。メディアが正義を言い立てて、「戦いの正当性」を批判しなくなることは珍しいことではない。

 悲惨な子供の写真といえば、内戦のシリアから逃れギリシャを目指したボートが転覆し、トルコの海岸に打ち上げられた3歳児の溺死写真を欧州メディアは大きく取り上げた。これで、悲惨な状況にあるシリア難民に対する同情が一気に高まり、世論に押されて欧州各国が難民受け入れに積極的になり、各国が大量の難民を受け入れ始めた……とは、ならなかった。遠く離れた土地での子供には同情するだけで済むが、実際に負担を伴うとなると感情に動かされてばかりもいられないということか。