望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

オバマとノーベル平和賞

 2009年1月に第44代大統領に就任したオバマ米大統領は、同年10月にノーベル平和賞の受賞者になった。まだ外交的には何の成果も挙げていなかったのだが、「核なき世界」に向けた理念や国際社会への働きかけが評価されての受賞だとされた。確かに、あの頃のオバマ大統領には、大きく世界を動かすことができるような雰囲気があったし、期待感も大きかった。



 しかし、期待というのは裏切られることが珍しくない。オバマ大統領が外交で挙げた成果は何があるのかと振り返ると、特筆すべきものはない。確かに、ブッシュ政権の置き土産であるアフガン、イラクへの米軍派兵を見直し、撤退に道筋をつけるなどの方向転換はあったが、アフガンやイラクが平和になったわけでもない。

 ノーベル平和賞の受賞にあたって評価されたのはチェコでの「核廃絶」演説だとも、エジプトでの「イスラムとの融和」演説だともいわれる。オバマ大統領の演説の魅力が最大に発揮されていたのが08、09年ころであり、その演説のパワーでノーベル平和賞を受賞できたのかもしれないが、演説だけでは世界を変えることはできなかった。



 オバマ大統領の就任後も世界で核廃絶は進まず、反対に中国が核でも攻撃能力を強化していると伝えられる。イスラム圏では「アラブの春」で西欧的民主主義が広がるかに見えたが、イスラム勢力の台頭や武装勢力の勢力拡大もあって混乱が拡大、不安定化する地域が中東、アフリカに広がっている。経済力をつけた中国は周辺国との軍事的緊張を高めることに躊躇しなくなった。



 もちろん、これらの全てが米の責任でもなく、オバマ大統領の責任でもない。リーマンショック後の経済的制約による予算縮減などで米は国際的活動を減らさざるを得なくなり、また、シェールオイル革命でエネルギー自給にめどがついたことも、内向き指向を助長しているのかもしれない。ただ、内向きと無関心は異なる。



 過去のノーベル平和賞の受賞者を見ると、こんな人に?と感じる人物、団体が受賞しているから、オバマ大統領の受賞だけを批判するわけにはいかない。オバマ大統領は見事な演説で“期待値”を高く上げすぎたので、余計に成果がショボク見えるのかもしれないが、米抜きでも世界は動き、方々で摩擦は起きている。緊張や対立を鎮め、平和な世界を実現することにノーベル平和賞が無力であるなら、ノーベル話題賞とでも名前を変えたほうがいい。