望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





すっごく、おいしい

 

 テレビ番組では、タレントが都内のどこかを街歩きして、飲食店などを紹介する企画が珍しくない。いわゆるグルメレポーターという食べ歩き専業(?)のタレントもいるが、バラエティー番組の1コーナーとして若手の芸人やタレントが登場することも多い。問題は、食べ物のコーナーなのに、見苦しい画面になったりすることだ。



 彼らの箸の持ち方が様々なことにはもう驚かないが、食べ物を口に入れた途端に「おいしい」などと大声で言うタレントも多い。少しは咀嚼して、味わってから感想を言え……と言いたくなる。さらには、すぐに「おいしい」と言う大きく開けた口の中に、咀嚼もされない食べ物が見えていたりするので、せっかくの飲食店の料理も台無しだ。



 あんな見せ方をテレビでされれば、さぞ美味しいであろう名物料理も、美味しそうには見えない。器に盛った料理ならともかく、他人の口の中にある料理の食べかけを美味しそうだと感じる視聴者はいないだろう。飲食店にとってはテレビで取り上げてもらうことがPRになり、どのような食べ方をされようと構わないのだろうが、きれいな食べ方をしてもらわなければ、せっかくの料理が泣く。



 口に入れてすぐに「おいしい」などと言うのは、演出なのだろうか。味は咀嚼してから分かるものだろうし、口に入れてすぐに分かるのは熱い・冷たいなどの感覚でしかない。番組内のコーナーの時間が限られており、多くの飲食店などを紹介するためにタレントは、口に入れてすぐに「おいしい」と言って、次の店に移動するのかな。



 でも、タレントの表現力に問題があるとの疑念は消えない。時間に余裕があるように見える街歩き番組で、飲食店で料理を味わって食べたタレントが発するのは、「おいしい」か「やわらかい」だけ。どのようにおいしいのかという表現はない。そうした表現にこそ個性が表れてくるはずなのに。味覚か表現が貧弱だから「おいしい」としか言えないのか。



 時には表現に努力しているタレントを見ることもある。さらに大声で「おいしい」と叫んでみたり、力を溜めてから思い入れたっぷりに「すっごく、おいしい」と言ってみたりする。「おいしい」という言葉を本人なりに演出することで、おいしさを表現し、伝えようとするのだろうが、表現としては未熟だ。主観的な表現と、客観的な表現との区別がついていない。主観的な表現は、真意が他者に正確に伝わるとは限らない。



 テレビで、タレントが集まってジャレ合っているような番組は珍しくない。身内で馴れ合いながら制作し、身内のような視聴者が見ている印象だ。冷ややかな、時には厳しい目を向けてくる他者(視聴者)の存在を想定していないような番組。タレントが「おいしい」だけを言って容認されるのも、身内のような視聴者は味の表現など求めていないと想定しているからかな。それに、厳しい視聴者はチャンネルをすぐに変えるだろうから、タレントの表現力に文句が出るはずもないか。