望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

気候変動と都市生活者

 欧米では、気候変動の危機を訴える活動家の運動が活発で、英国ではデモ隊が道路を占拠して交通を妨害したり、欧州各国で小中高の生徒たちがストライキを行ったりしている。デモ隊が警官隊と衝突することも珍しくなく、過激派が紛れ込んでいるともされる。

 政府に地球温暖化対策の強化を求めるデモは世界各国でも行われているのだが、活発で、また過激化する活動は欧米に多い。豊かな生活を達成したから衣食住や安全などより気候変動を具体的な危機だと感じていると解釈するなら、温暖化に対する危機意識は、豊かさの裏返しでもある。

 日々の食料を確保することで精一杯という貧困の中で生きる人々や、治安が崩壊して怯えて暮らしている人々にとって、気候変動や温暖化が直面する危機であるとの現実感は希薄だろう。スウェーデンの高校生が学校を休んで政府に地球温暖化対策の強化を求める行動を行ったが、満足に学校に行くことができない世界の若者にとって、それは贅沢な抗議活動に見えただろう。

 気候変動や温暖化による影響は、地球に生きる全ての人に等しく及んでくるだろう。しかし、何が直面する危機であるかは状況によるので、気候変動に対する危機感には世界で地域差が存在する。さらに何らかの危機意識を求める傾向を持つ人は珍しくなく、状況が「悪くなっている」などと自己の主張を正当化するために危機感を持ち出す人も珍しくない。

 熱心に環境保護を訴える人たちは欧米に多いようだが、そうした人の大半が都市居住者だという仮説がある。先進国の都市部の豊かで安全な生活環境の中で暮らす人々が、気候変動や温暖化の危機に敏感に反応するのは、生活環境に自然が乏しく、それらの人々にとって自然は理想化されているから、危機の情報に敏感に反応するという見立て。

 都会から離れた自然に囲まれた環境で暮らしている人にとって、自然とは周囲に存在する具体的なものだ。豪雨や暴風は時にはあることだし、気候変動や温暖化による影響が周囲の植生に現れるには相応の時間を要するだろうし、植生が変化したとしても以前とは異なる草花が現れることでしかない。気候変動や温暖化による危機とは、自然の中で暮らしている人々にとっては「理論上」の話か。

 この仮説が現実を的確に説明しているとするなら、活発化する環境保護運動は人工化した環境の都市部に住む人々の自然に対する渇望かもしれない。その自然は現実のものではなく、理想化された自然である。理想を掲げる運動が妥協を拒み、過激化するのはよくあることだ。