望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

もてて乱れず

 「もてて乱れず」ということを、竹中労さんとの対談(「草莽のロマンチシズム」ー『竹中労の右翼との対話』所収)で白井為雄さんが語っていた。それは概略、次のような話だった。

 男の女の関係で、「もてないで乱れる」(女にもてないといって生活が荒れる)ことは最低で、「もてて乱れる」(女にもてて有頂天になってハメをはずす)は次善である。最善は「もてて乱れない」ことである。もてた時は、決して自惚れない自重が大切であるとの戒めだ。
 「もてて乱れず」の態度は、女出入りだけではなく、思想生活、企業経営、社会人生活においても重要だ。ことが順調に運んで調子良い時が最も心すべき時であって、このような時には有頂天にならないようにしないと、そんな時にこそ人生の落とし穴は大きく口を開いて、転落の機会が待ち構えているものだ。

 人気にもてて乱れ、マスコミにもてて乱れ、権力にもてて乱れ、商売にもてて乱れ、金にもてて乱れる人は珍しくない。だが、もてている人物に対する世間の関心は高いから、隠されていた「乱れた」所業が暴かれ、週刊誌の誌面を賑わせたりする。

 男女関係に限らず「もてて乱れず」が簡単でないのは、もてて順調な時に人は喜び、慢心しやすいからだ。もてて乱れるのも人の自然な生き方だと見守ってくれるほど、もてている人に世間は優しくない。もてている人の乱れた所業が晒され、もてている人が一転、窮地に追い込まれるのを見ることを世間は楽しんだりする。

 もてるというのは、他者からの評価である。自分の魅力や能力、努力、天分などが他者から認められたのだから、喜び、満足し、慢心するのは、程度の差はあれ誰でも同様だろう。そこで、乱れるか乱れないかは、他者からの評価に浮き足立たない自己を確立しているかどうかが左右する。

 「もてて乱れず」の人は「もてなくても乱れず」かもしれない。そんな人は少ないからこそ、「もてて乱れず」の言葉が戒めとして効果を持つ。ただし、「乱れず」が偏狭な自己に固執する頑固さを意味するのなら、そんな人はどこにでも居そうだな。