望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

身のこなし 

 こんなコラムを2001年に書いていました。

 新宿駅など、方向も歩く早さもまちまちの人混みの中での若い連中の身のこなしが悪くなっている。人混みの中では、ぶつからずに身をかわして歩くのが当たり前だと思っていたが、若者の運動神経が鈍ったのか、若者のほうが避けようとしない。ぶつかっても意識にない様子だったり、時には「おまえが悪い」とでも言いたげな目で睨む。

 人混みの中を、前から来る人、横から来る人、追い越す人、追い越される人、それぞれの間合いをとって、時には半身になり、ぶつからずに、さっさと歩くのが都会的な身のこなしであり、ほとんどの人がそうした身のこなしだったように思う。それが今は、緊張感がないような若い連中の身のこなしが悪く、ぶつかる。

 人混みの中でも若い連中には他者が意識にないのかもしれない。自分の体がぶつかろうがバッグがぶつかろうが気にもせず、ぶつけられて初めて他者の存在に気付いたかのように、むっとした顔をする。

 例えて言うなら、若い連中に玄関がなくなった。内と外との区別が希薄となり、自室にいる時のような精神状態で外を歩いていて、行き交う他人は、つけっぱなしのテレビ画面のようにしか捉えていない。

 人混みだって彼らにすれば精神的には私的空間にすぎない。そこで、ぶつかるなどして、いきなり他人が登場すると、自分の私的空間に入り込んだ他人が悪く、自分は被害者ででもあるかのような防御的反応になる。