こんなコラムを2001年に書いていました。
大橋巨泉が参院選に立候補するとか。竹中労氏の近刊「芸能人別帳」(ちくま文庫)から巨泉について書いたところを見ると、「参議院選挙に立候補したまえ」とあるではないか。いつ書いたのかと見ると、74年7月だ。
同書によると、巨泉は「マジメ人間」であり、「遊びが仕事に(略)あるいは使命や理想となったときに、それはもはや遊び」ではなく、「世間でいう遊びと仕事が巨泉の中で転倒」してしまった。社会派と見られることが巨泉にとっては遊びであり、「政治的発言にはスリルがあるのだ、彼にとっては競馬よりも、はるかに昂奮度が高かろうと推察する」とし、立候補を奨めるのは「巨泉ならば(江戸ッ子気質で選挙を)真剣に洒落のめし遊ぶことができるはずだ」とする。
そこには、この国の政治を見つめる竹中労氏の冷めた眼があり、きれいな選挙だの政界粛正だのという「議会制民主主義のさらなる詐術」に騙されるなよーと説く。この詐術、今で言うなら、さしずめ構造改革か。だから、選挙で「一つ大いに遊んでもらいたい」と巨泉をそそのかし、政治を遊びとして捉えることの中に、現状打破の可能性があると説く。
さあ、どうだ。この言葉、現在にそのまま通用する。構造改革をせねばならぬとテレビをはじめマスコミに朝から晩まで吹き込まれた人々は、そうだ、そうだと洗脳されて、小泉内閣支持8割なんてことになる。
構造改革を錦の御旗として、疑問を呈する人は賊軍扱い。愚鈍な経営者を退場させることもろくにやらず、縮小するデフレ経済では人件費削減=人減らしが必須だから、構造改革には痛みが伴うと摺り替えPRに余念がない。見知らぬ他人の痛みなら誰だって、止むを得ないなんて、つい言いそうだ。
話を戻して「芸能人別帳」、出て来るのは、渥美清、ピーター、勝新、高倉健、裕次郎、錦之助、藤山寛美、三木のり平、戸浦六宏、佐藤慶、小松方正、三国連太郎、小沢昭一、杉村春子、山田五十鈴、望月優子、森光子、有馬稲子、新珠三千代、池内淳子、山本富士子、加賀まり子、吉永小百合、加山雄三、若尾文子、三船敏郎、美空ひばり、雪村いづみ、西村晃、伊藤雄之助、殿山泰司、永六輔、久米宏、伊東ゆかり、森進一ら。
60年代、70年代に週刊誌に掲載されたものがほとんどで、様々な文体を駆使して、読みやすく、面白く、ぴりっと辛くまとめてあり、文章の「芸」が堪能できる。