望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

水滸伝は奥深い

 水滸伝を論じた書物は数多いが、竹中労さんの水滸伝論(「梁山泊窮民革命教程」)に沿って、原著の水滸伝の時代背景を見てみよう。



「当時(北宋)、塩は国家の専売であり、その歳入は国家財政の根幹であった。ゆえに政府は海辺住民の塩の密造・密売を厳しく禁じ、人々を島に隔離して製塩強制労働に従事させたのである」。需要はあるが供給が限られる品物は、つくれば売れる。度胸があって、一儲けしようという連中が見逃すはずがない。



「王安石の没後、神宗・哲宗ーー徽宗の代となる。この皇帝はプレイ・ボーイであった。夜な夜な女郎買いに出かけた。国都であったベン京(開封)の市街は、都市文化の爛熟期に当って、まさに不夜城の景観を呈していた。大小の酒楼(芸妓を置く)、茶坊(スナックバーである)、妓館(女郎屋)が立ち並び、とりわけ王宮正面の料亭は三階建てで、美姫数百人を擁し、煌々たる灯は白昼をあざむくほどであったそうな」。政治権力の頂点にいる皇帝はオンナ狂い。都市は豊かで爛熟し、国全体も豊か……なんてことはない。地方を疲弊させても富を都市に集めるから、都市は爛熟する。



 そんな時代に、実在の宋江が反乱を起こす。「淮南(淮河の南)の盗宋江以下三十六人の好漢、叛乱をおこして官軍を大いに悩ましたのは、徽宗の宣和年間(1119~25)、『宋史』候蒙列伝にいわく、[宋江、京東に冠し、……三十六人をもって斉、魏に横行、官兵数万敢て抗する者なし、その才、かならずや人に過ぎん、今、青渓に盗起る(方臘の乱)、赦して討たしめ、以て自らつぐなわしむるに若かず]」。強かったんだが、水滸伝120回本のような結末を迎えたようだ。



 三十六人の叛徒は何者であったか。「妻子と引裂かれ、孤島の塩田(もと不毛の地であった)に監禁されて、強制労働に従事させられた窮囚(とらわれの窮民)たちは、監視の目を潜りぬけて島外に脱走した(誰か肯えて亡逃するなからん)。彼らは流亡の賊となり、悪徳商人の船を襲って斬取り強盗をはたらくようになった」



「これが『水滸伝』の世界である。宋江の乱がおこった宣和年間、都市への富の集中に反比例して地方は疲弊の極にあった。農民は重税に耐えかねて田地を売り、もしくは佃戸(小作農奴)となり、あるいは土地を棄てて逃散した。窮民は山河にみちた、都会に流入して巷にあふれた。−−とうぜん“群盗”も山河にみち、巷にあふれたのである。各地に野盗・水賊は出没した、都市でも殺人放火が横行した、いうならばルンペン・パニックであった」。皇帝を始めとするトップ層は大いに楽しみ、民は苦しみ、世は乱れる。



「『水滸伝』の説話は、そのような時代相を背景に成立する、繁栄と享楽の時代は等しく不平と不満の時代であった。塩田の窮民のみならず、あらゆる階層にむしろ賊徒の自由を潔しとする思い、法と秩序から剥落を遂げて遊侠無頼の別天地に憧れる、流民への願望がびまんしていた。インテリ階級にも、官界や軍隊にさえもである」。


 水滸伝には多くの登場人物がいて、多くのエピソードが書かれているが、おそらく、宋江以外にも実在の人物、エピソードが含まれている。それらを人々が、現実の生活苦の中で、愛おしんで伝えて来たのが水滸伝だ。単純なヒーロー物語ではない。