望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

北方版「水滸伝」

 長大な物語である水滸伝は、源氏物語のように1人の作者が書き上げたものではない。民間に伝えられた説話を宋末か明初に施耐庵がまとめ、さらに後世に羅漢中がまとめたとされる。これが120回本。それとは別に明末か清初に金聖歎がまとめた70回本がある。ほかにも100回本、110回本、115回本、124回本など様々な異本があるそうだ。



 70回本は、各人の様々なエピソードを中心に108人が梁山泊に集うまでを描く。それに続けて、梁山泊を鎮定できなかった国家が108人を招安、108人は国家の手先として周辺国との戦に出て行き、滅んでいくのを描く120回本。金聖歎は71回以降を後世の贋作だと切り捨てた。



 民間説話の寄せ集めで成立したともいえる水滸伝には、人物の性格が一貫していないとか、人物によっては性格づけが希薄、整合性がない、リアリティがない、性格の書き分けがない、旅人を殺して肉まんにして喰ってしまうなど残酷だとか、小説的には破綻がある。歌舞伎を幕見で見るように全体のストーリーはさておいて、そんな破綻をおおらかに見るのが古典を読む楽しみでもあるのだが、北方謙三氏の「水滸伝」はそこらへんにかなり手を入れている。



 北方版「水滸伝」では、登場人物は近代的自我を備えている。原著の水滸伝になじんでいる人は、人物の性格が現代人に理解しやすいような性格に変わっていることに気づくだろう。北方氏は「全部をバラバラにして、1人ずつその人間に過去を与えるというかたちで書いていった」とする。つまり水滸伝をなぞったのではなく、水滸伝の人物を再生させて散りばめ、その人物を自在に動かして、新しい水滸ワールドを再構築した。



 魯智深ら108人が濃いキャラクターになって生き返り、大活躍して、全員ではないが次々と梁山泊での勢揃いを見ずに雄々しく死んで行く。原著を知っている人は、これに驚く。北方版「水滸伝」の1番の特徴は、108人のうちから次々と死んで行くことだ。ほかに、国側の組織・人物をしっかり描いたことや、梁山泊の経済的根拠を明確化した、二世を登場させた、水滸ワールドに恋愛感情やセックスを持ちこんだなど、北方氏の独創は多い。原著の水滸ワールドを期待するなら原著を読めばいい。



 北方版「水滸伝」が原著と大きく異なる点がもう一つある。それは「替天行道」という書物の存在。梁山泊革命のテキストともいえるもののようで、世直しの「志」が書いてあるというその書物が密かに広がり、“同志”をオルグする役目を果たす。近代的党派の論理が入って来たのは、北方氏の全共闘体験が反映しているのだろう。党派の論理が出てくると、同時に排除の論理ともなる。北方版「水滸伝」では梁山泊が攻め落とされるので、「志」による排除の論理が顔を出さないのは救いだ。



 北方氏は登場人物を再構築し、物語の流れを整え、独自の設定も取り入れ、セックスも描いた。独自の水滸ワールドが現代小説として展開されているのだが、「革命」が国家の圧倒的な力の前につぶされるのは、北方氏の実感からきているのかもしれない。負け戦のほうに北方氏はリアリティを感じ、氏の美学にかなうのか……。全共闘体験がナンボのものか知らないが、物語の中にまで律儀に負け戦を持ち込むこともあるまいに。せっかくの水滸ワールドがもったいない気がする。