中国の長編小説「水滸伝」の主役は首脳クラスの天罡星36人と、部門長クラスの地煞星72人の計108人の豪傑だ。彼らは、体制からはみ出したり弾き出されたりした人や、体制など見向きもせず自由に生きる人々だ。1人また1人と出会いを重ね、やがて強力な集団となり、時に中央政府と対峙し、戦闘を繰り返すようになる。
体制の外で生きるということは、略奪など体制側からは犯罪とみなされる行為も辞さないことがある。だから、彼らの集団は盗賊団だとする見方がある一方、自由に生きようとする人々の体制に対する抵抗を描いた物語だの見方がある。さらに、体制からこぼれ落ちた人々による革命運動の一つを描いた物語だとの解釈もある。
水滸伝の世界を「緑林の徒ー盗賊・ゴロツキ・侠客の革命であり、流民の革命だった」としたのは竹中労さん(『窮民革命の序説 水滸伝』。以下同)。時代は「塩田の窮囚のみならず、あらゆる階層にむしろ賊徒の自由を潔しとする思い、法と秩序から剥落を遂げて遊侠無頼の別天地に憧れる、流民への願望がびまんしていた。インテリ階級にも、官界や軍隊にさえもである」とする。
36人プラス72人の出身経歴は様々で「あらゆる職種と、階層からのドロップ・アウターが網羅されている」のだが、官界や軍隊という体制側にいた人々も多い。例えば、宋江は小役人、魯智深は下級将校、戴宗は刑務所の典獄で李逵はその部下、関勝は地方役人、林冲は禁軍の棒術の教頭、楊志は禁軍の武官であり、花栄や秦明、呼延灼、黄信ら軍隊に属していた者は珍しくない。
体制側に属していて敵対した人物でも「後に梁山泊に会盟して将星となる」のであり、「彼らもまた国家権力の窮囚であることを自覚して、その埒外に遁走した、魔界への転生を遂げたのである」。水滸伝は、体制側にも同志がいることを示し、闘いの中で連帯の戦線を拡充していく物語である。
現代の硬直した考えの反体制派(リベラル)なら、体制側に与した経歴がある人との連帯などは拒否するかもしれない。それは自己の考えや主張にとらわれすぎて思考が硬直するとともに、人を見る目が曇っている結果であろう。体制からこぼれ落ちる人間はいつの時代でも数多く、その中にも真の同志がいる可能性はある。
敵(体制側)の中にも同志を求めるのが水滸伝の世界だ。現実の中国や北朝鮮などでは、打倒された体制側にいた人間は排除され、汚れた血統などともされるとか。そんな硬直した見方が支配すると社会が歪むのだと、現実の中国や北朝鮮は示している。