望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

伯剌西爾で世界杯

 蹴球の世界杯争奪の大会が2014年に伯剌西爾で開催された……「蹴球」は今でも高校などの部活動では健在だから判別できる人が多いだろうし、「世界杯」も字面から類推できるだろう。だが「伯剌西爾」となると、ほとんどの人は理解不能だろう。伯剌西爾はブラジルの漢字表記。「伯」と簡略表記されることもある。



 国名をわざわざ漢字表記したのは、明治時代のころまで、西洋などの固有名詞さえ漢字で表記するという中国の表記法にならったため。その昔、日本には主に中国経由で情報が入ってきた。中国は表音文字を持たなかったため、すべて漢字に置き換えて表記せざるを得なかったのだが、そうした中国語の制約に日本人は気付かず、漢字に置き換えることが、情報の受け止め方であると理解していた。



 これは明治時代になって、西洋から直接、多くの情報が入ってくるようになってからも続いた。民間はもとより、「歴史書を含めて、直接役に立つわけではない本を、太政官元老院・左院等の権力体がみずからのイニシアティブによって翻訳している」(『翻訳と日本の近代』丸山昌男・加藤周一)ように、西洋の書物を大量に日本語に移し替えた。



 その時に外国の人名、地名、国名なども当初は漢字表記していた。米(亜米利加)、英(英吉利)、仏(仏蘭西)、伊(伊太利)、独(独逸)、露(露西亜)など現在でも使われている。ただし、こうした日本の漢字表記は現在の中国語の表記とは異なるものが多い。日本語の発音と中国語の発音が異なるので、西洋語の音に漢字を当てはめるときに使う漢字が違ってくる。



 明治の翻訳者たちは、抽象語の訳しかたで苦心・工夫したという(前掲書)。法律や政治、歴史、哲学、経済、技術など各分野で、日本語にはない新しい概念を中国語の漢字を引っ張り出して当てはめたり、日本語にも中国語にもない新しい概念は翻訳者が造語したりした。中国語の漢字を使った場合でも、中国語の本来の意味とは全く異なる新しい概念を表すようにしたケースもある。



 そうした翻訳書を、当時の日本に留学していた中国人たちが読み、西洋の新しい概念を表す漢字表記を中国に持ち帰った。漢字というと、中国から日本が一方的に受け入れたという印象があるが、明治時代以降は中国が近代化(西洋化)のため、日本で西洋語から翻訳され、造語された漢字を受け入れた。社会主義共産主義関係の用語の多くがそうだという。



 さて2014年の世界杯で決勝トーナメントに伯剌西爾、智利、哥倫比亜、宇柳具、和蘭、希臘、墨西哥、哥斯達利加などが進出した。前回大会優勝の西班牙や英吉利の1次リーグ敗退が決まるなど波乱も起きた。出場する選手は入れ替わっているのだから、強豪国の国名だけでは通用しないところが面白い。