望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





表記の混乱


 各新聞社はそれぞれ、紙面で使用できる漢字、送り仮名、言い換え、使い分けなど用語法を決めている。大手書店では朝日、共同の用語集を見かけることが多いが、内容はほとんど同じだ。基本は新聞協会で決めているのだから。



 新聞社が用語法を定めるのは、表記の統一のためだ。「おこなう」は新聞では「行う」に統一される。でも雑誌などでは「行なう」も一般的で、新聞社の用語法の威力は社会の規範となるほど大きいものではないらしい。



 日本語は多様性に満ちた言語なのか、ルーズな言語なのか解釈が分かれそうだ。英語などを習得しようとする人が、あちらの新聞と雑誌で単語のスペルが微妙に違っていたら混乱しそう。だから日本語を学習する外国人に同情する。最初に「行う」は「おこなう」と読むと覚えたなら、「行なう」をうっかり「おこななう」と読んでしまいそうだから。



 日本語の表記の混乱は、漢字とかなの混じるところに顕著に現れる。しめきりは締め切りと新聞では統一されるが、締切りとする表記も書籍・雑誌などでは珍しくない。こうした混乱は、官製の正書法がたびたび変更されたことも影響しているようだが、漢字の位置づけが不安定であることを示すものでもある。



 締の字は、締まる、締めると送り仮名は複数あるので、締切りでは、しめきり、しまきり、しきりとも読めそうで紛らわしいと、締め切りとおくるようになったそうだ。締切りという漢字表記を定着させるのではなく、締の字にシという音のみをあてるというのだから、万葉仮名の昔に戻ったかという気がしないでもない。



 昔の知識人は漢籍に明るかったそうだが、明治以降、最新知識・情報・思想などが西洋から日本に直接入るようになり、漢籍に明るい知識人は減った。そのかわりに西洋語、近年は特に英語に堪能な知識人が増えた。こうした情勢を反映してか、漢字の音を限定するようになったのは、漢字を表音語化しようとしているんじゃないか……なんて思えてくる。



 様々な表記法が混在する日本語。すでにアルファベットが、新聞や雑誌の縦書きの文章中に窮屈そうに入っていることが珍しくなくなり、さらに日本語の表記法は変化しそうだ。今世紀中には新聞・雑誌も横書きになるだろうしね。日本語から漢字がなくなることはないだろうが、漢字の位置づけは軽くなりそうだ。ただ、書道やクイズ番組では漢字は重宝がられ続けるだろう。