望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

衰えた翻訳力

 日本では言語状況も「グローバル化」が進み、カタカナ語の大幅な増加が続いている。明治以来、日本人は英語など欧米の言葉を適当な漢字を使ったり造語して翻訳し、新しい概念や技術などを吸収してきたのだが、翻訳の過程は欧米の言葉の意味するものを日本語で明確化する過程でもあった。

 日本では今も欧米から新しい概念や技術を吸収することは続いているが、インターネットの普及と英語を理解する日本人が増えたこともあってか、適する漢字を使ったり造語して翻訳する努力は放棄されたような状況となり、英語などをそのまま取り入れていることが大幅に増えた。

 といっても英語などをアルファベットでそのまま日本語の中に取り入れるようになったわけではなく、読みをカタカナに直しているだけだ。新聞や雑誌はまだ縦書きが多いが他は横書きが主流となり、インターネットは横書きの世界なのだから、アルファベット表記を日本語の文章の中に取り入れることは容易になったはずだ。だが、読みをカタカナ書きするだけ。

 新しい言葉をカタカナ書きする弱点は、その言葉の意味するものがぼやけてることだ。カタカナ表記を読んですぐに理解できる日本人は少ないだろうからと、カタカナ表記に続くカッコ内で言葉の意味を説明したりする。それは文字数を増やすだけなのだから、新しい英語などの言葉を日本語に翻訳して表記するようにしたほうが効率的だ。だが、カタカナ表記は増殖するばかり。

 英語などのカタカナ表記が増えたのは、日本語に翻訳する日本人の能力が低下したからだろう。おそらく漢文の識字能力が衰えて漢字の知識が乏しくなり、日本語の読解力も衰えた日本人は英語などから日本語に翻訳する能力も低下し、新しい概念や技術などを表す英語などの言葉を日本語にうまく翻訳=置き換えることが困難になった。まあ、読みのカタカナ表記で済ますほうが翻訳に頭を悩ますより簡単だし、立派そうに見えるか。

 カタカナだけで説明がない表記も増えた。そうした新しいカタカナ表記の意味を知りたくても国語辞書にはまだ載っていない。英語に堪能な日本人が増えたのならカタカナ書きするよりはアルファベットで表記するほうが理解しやすいだろうが、そうなるのはまだ先だ。新しいカタカナ表記は、言葉の意味するものを正確に知ろうとしない多くの日本人にとって、意味がよく分からない言葉のまま放置される。

 カタカナ表記の氾濫は、①日本人の翻訳能力の低下、②日本人は言葉の意味が曖昧のまま使用、③欧米発の新しい概念に盲従し、検証しないーなどを示す。翻訳とは英語などの言葉が意味するものを自らの言葉で理解することでもある。日本語に翻訳する作業を放棄して見慣れぬカタカナ表記を増殖させることは、ますます日本語の世界を曖昧にし、情緒的にする。