望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

文化から文明へ

 日本語を話すことができる外国人が珍しがられた時代がかつてあり、外国人が日本語を話したなら驚かれたり、片言であっても「お上手ですね」と誉められたりした。最近では、日本語を話す外国人は珍しくはなく、テレビのバラエティー番組などで軽妙な受け答えをする外国人タレントを見かけることは日常的になった。

 日本語は外国人には習得が難しい言葉だと日本人の多くが思っているから、日本語を話す外国人を特別視したのかもしれない。それは、日本人の多くが外国語の習得が苦手であることの反映で、英語をなかなか話すことができるようにならない日本人が、難しい日本語を話すことができるようになった外国人に接して、驚いたり、誉めるという反応として現れたのだろう。

 「日本語の壁」はなお高く、日本語が世界に広がっているとはいえまいが、スシやラーメンなどの日本食やアニメ、漫画など日本発の文化を愛好する人々は世界で増えているようだ。外国で“愛されている”日本の食、製品などを紹介するテレビ番組も各局にあって、日本の文化が世界で受け入れられていることを日本人は嬉しく思っている様子だ。

 日本語は外国人には習得が難しいという先入観と同様に、日本の文化は独特だから外国人には理解が難しいとの見方もあった。だから、ハードルが高い日本の文化を理解できた外国人には、「大変な努力をした」のだと賞賛したのかもしれない。だが、食やアニメ、漫画などを楽しむために超えるべき「壁」は低く、外国人にもファンを広げた。

 多くの外国人観光客が訪れるフランスでは、フランス語を外国人が話しても、驚くこともなく、「お上手ですね」などと誉めることもなく、美術や食などフランスの文化を外国人が理解し、好んでも、それを特別視することはなく、むしろ、それを当然だとするという。フランスの文化(文明)は普遍的なものだから、外国人でも受け入れ、好むのは当然だということかもしれない。

 国境や民族などに関係なく共有される文化を文明とすると、現在は、日本文化が文明へと本格移行しつつある状況といえる。食やアニメ、漫画などから日本の文化への関心・共感が世界で広がり、共有されるようになって、普遍的な文明の一つと認識されつつある。浮世絵など日本文化は既に文明化していたのだが、もっと広範で新しい日本の文化が世界で共有されつつある。

 だが日本人の多くは、日本の文化は日本独自のものであり、日本人の所有物ででもあるかのような感覚を捨てきれず、世界で日本発の文化が“愛される”ことを無邪気に喜ぶ。文明となって世界で共有されるということは、日本や日本人の独自性よりも普遍性のほうに価値がおかれて評価されるということである。日本の文化が文明になりつつあることの意味を、日本人の多くが自覚していないように見えるのは興味深い現象かもしれない。