望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

おバカだけど

 こんなコラムを2008年に書いていました。


 TVのクイズ番組で珍答・迷答を連発するタレントが人気になり、親しみを込めて、おバカタレントと呼ばれている。これまでにも、見かけはともかく本当はバカなタレントは数多くいたかもしれないが、バカを売り物にしたのは坂田利夫以来かもしれない。いや、あちらはアホが売り物だったから、違うか。バカとアホはニュアンスが異なる。



 「バカだけど、かわいい」と「かわいいけど、バカだ」の差は大きい。前者は肯定的であり、距離をつめていく感じなのに対して、後者は否定的で、距離を空けていく感じ。「バカだけど、かわいい」と交際を始め、「かわいいけど、バカだ」と呆れられて別れるイメージ。おバカタレントは前者だから人気が出たが、人気を当て込んで、おバカタレントが増殖し始めており、やがて視聴者に飽きられ、後者になってブームは終わりになるかもしれない。



 おバカタレントの人気は、コミュニケーションが切れないことにある。設問に対して、何も答えられなかったり、「わかりません」と言って終わらせると、そこで展開は切れてしまう。おバカタレントは、そこで何かを答える。思いついたことを、正解ではないかもしれないなどと考えず、明るくトンチンカンに答え、笑いをとる。



 コミュニケーションが切れないので視聴者は、おバカタレントの発想の経路を感じ取り、笑いつつも、一生懸命考えた子どもを見るような親近感を持つのかもしれない。おバカタレントが回答を間違えても、次は何と答えるのかと視聴者の関心をつなぐ。黙られてしまったり、「別に。」などとコミュニケーションを切られてしまうと、興ざめになるだろう。TVではその直後にチャンネルを替えられてしまう。



 絶妙な珍回答ぶりに、「天然のおバカさだけでは、ああは続くまい。あれは、振り付け通りに踊っているだけ」と冷めた見方がある。真偽は知らず、人気のためには何でもやるのが芸能界だと考えれば、何らかの演出はあるのかもしれないが、台本どおりでも、笑えるならそれでいい? そうだとすれば、おバカタレントを笑っているのか、視聴者がバカだと笑われているのか分からなくなる。



 一発芸のタレントは賞味期間が短い。食品業界なら、日付を書き換えて、どうせ消費者は気づくまいと再出荷するのかもしれないが、タレントの一発芸にそれは通用しない。飽きられたものは、それまで。芸と言えるのかどうかはさておき、「おバカ」も、それだけではいつまでも喰っては行けまい。何年経っても、おバカタレントは相変わらず「おバカ」のままでは、本当に馬鹿にされるだろうし、「普通」になっては取りえがなくなる。