望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

アウトローたち

 黒駒勝蔵といえば清水次郎長に敵対した悪いヤクザものというイメージがあるが、これは浪曲や映画でつくられたもの。実際は、無法者ではあったのだが、尊王攘夷のため博徒のみならず浪士まで糾合し、武装して倒幕運動に動き、そのため幕府から狙われたという侠客であった。

 天保水滸伝のモデルとなった勢力富五郎は、仲間とともに幕府相手に52日間戦い、一帯を騒がせ、最後は山に立てこもり自決した。その騒ぎは江戸にも伝わり、水滸伝梁山泊を連想させ、江戸っ子を一喜一憂させたという。

 国定忠治磔刑になったのだが、一盃の酒を口にし、諸役人に礼を述べ、14度の槍に耐え、ようやく絶命したという。辞世は「あつかりしものを返して死出の旅」。この見事な最期には、パトロンでもあった女傑・菊池徳の叱咤があったという。

 「水滸伝」が全巻和訳されたのは18世紀後半(宝暦~寛政)。これによりアウトローを語り伝える方法論が日本にもでき、読本、浮世絵を始めとして講釈・講談、浪曲、更には映画で描かれ、反骨のアウトローヒーローは民衆の中に定着していった。 

 アウトロー(人別帳から消された無宿者、博徒)が生きることができのは、干鰯・醤油、養蚕製糸織物業などの発展で農村にも現金収入がもたらされ、また、舟運などの物流の拡大など産業経済の発展があったため。

 こうした日本のアウトローの幕末維新史を、豊富な資料により実証的に展示したのが「民衆文化とつくられたヒーローたち」展(国立歴史民俗博物館、2004年)である。役人らの書く歴史には決して出て来ない、世間のはみ出し者たち、それに喝采する民衆。いつの世でも世間は1色ではなく、多くの色が混じりあって成り立っていることを伝える展示会だ。

 さて現在、アウトローはどこにいるのか。児玉誉士夫が反安保対策にヤクザを結集させて以来、反骨のアウトローは消えたのか? それとも、見えにくくなっただけか(TV・新聞などのマスコミはアウトローを決して登場させない)。