望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

客の力、芸の力

  落語家の噺などを直接聞くことができる寄席は、舞台に正対して観客が座る椅子席が並ぶ構造だが、昔の寄席の客席は畳敷きで、客は好きな場所に座った。そうした畳敷きの客席を最後まで残していたのが以前の池袋演芸場だった。

 あの頃の池袋演芸場で客は、客席の後方に積み重ねてある座布団を手にとって、客席に散らばるように座った(混んでも20人程度だったから)。舞台上の演者と客との距離が近く、熱演には文字通り客は引き込まれた。

 だが、次々と出てくる演者が皆、熱演するわけではない。むしろ、聞いたことのある噺をだらだらと聞かされたり、同じ演者からいつも同じ演目を聞かされたりと、客が退屈することもフツーだった。そうなると客はあちこちで、うとうとし始める。客を眠らせないということは、演者の力を推し量る指標ともなる。

 もちろん、笑うポイントは個人差が大きい。ちょっとしたクスグリに大笑いする人もいれば、多くの演者の舞台を見ている人は、“いつも”のクスグリなどには簡単に笑わなかったりする。すぐ笑う客から、なかなか笑わない客まで、いろいろな客を相手にしなければならないから寄席は演者を鍛える。

 同時に、演者も客を鍛える。言葉の積み重ねで想像の世界を演者は描き出し、それを客が共有することによる笑いもある。笑わせる商売だから演者は様々の客が笑えるように、すぐ笑う客にも、じっくり聞いて笑う客にも楽しんでもらうように工夫しており、寄席通いの経験が増えるにつれ客は、笑いの奥深さを知る。

 寄席の数が減った現代でも人々は笑いを求め、お笑いタレントがテレビには出まくっている。笑いに対するテレビの影響力は格段に大きくなったが、寄席番組は減り、芸人が鍛えた芸を見せることも減り、トークや街歩き、食べ歩きなどで、ちょっとした笑いをとって見せるのが、お笑いタレントの芸になった。

 ちょっとした笑いとは、誰かの言い間違いなどを笑うのと同じように刹那的な反応だ。視聴率を争うテレビ局には、すぐ笑わせることが必要だろうが、そんな笑いが増えた結果として寄席番組が減った。テレビの笑いは客を鍛えず、テレビの客は出演者の芸を鍛えない。