望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

春画や春本という文化

 落語にバレ噺というのがあって、寄席では幽霊噺の後に高座に上がった落語家が披露したりする。幽霊噺にゾッとした客に大笑いしてもらって、気分を変えるためだという。場所と時、相手を選ぶワイ談を皆で大笑いできる噺に仕立てるのが、落語家の鍛えた話芸だ。

 誰もが興味を持つのに、おおっぴらに語ることが憚れるのが性や性器に関する事柄。絵画や書物などにも性や性器を描いたものは古くから大量に存在するが、古今東西を問わず国家権力の取り締まり、弾圧の対象になってきた。権力が人々に押し付けるモラルの最も崩れやすい部分が性に関する事柄だ。

 権力が厳しく取り締まってきたのに春画や春本が現代に大量に伝えられているのは、それらを人々が隠れて大切に保有してきたからだ。浮世絵の春画には言葉の壁がなく、日本から流出した作品が欧米で人気だという。大英博物館など各国で展覧会が開かれたりもしている。

 権力は厳しく取り締まるから、春画や春本は密かにつくられる。明治以降も梅原北明のように度重なる発禁処分にめげず雑誌や書籍を刊行した人のほか、地下出版が盛んに行われてきた。そうした事情の一端をうかがい知ることができるのが『国貞裁判・始末』(林美一・阪本篤・竹中労の共著。三一書房。1979年)だ。

 これは雑誌『噂』連載の「口伝・艶本紳士録」を収録したもの。阪本篤氏は「発禁に屈せず“艶本”に賭ける男」で、出版人いや“本屋”の心意気を貫き通して生き、不特定多数の人々ではなく特定少数の研究家、好事家を相手に細部まで凝った本をつくり続けた。

 『国貞裁判・始末』では地下出版を含む様々な出版物が取り上げられ、つくった人々や著者・画家、そうした出版物を収集する人々のほか、取り締まりの実態と取り締まりから逃げたり、闘った人々などについて語られる。坂本氏自身が収集家であり研究者であるので、その語る情報量は膨大にもなる。

 例えば、有名作家に関係する箇所を抜き書きすると、たちまち次のような個所が目に入る。
 ▽芥川龍之介作といわれている黙陽生の『赤い帽子の女』『暗色の女の群れ』。
 ▽斎藤昌三がひっかかったのは『明治文芸側面抄』というヤツだけ。志賀直哉の『濁った頭』とか発禁になった明治文芸の問題の個所だけを集めたもの。
 ▽永井荷風の『腕くらべ』は一般市販しているヤツは二万四千字抜けている。その二万四千字の入っている私家版は五十部。 
 ▽永井荷風は、欠字の部分も私家版には全部書いている。芥川龍之介は『お富の貞操』を書いても、“以下何百字欠字”なんて部分は、もともと書いていない。芥川には、そういう洒落っ気がある。

 春画や春本なども日本の文化の重要な一面であることを実感させる『国貞裁判・始末』。政府高官や華族、財界人などにも地下出版物の顧客が多く、金払いが良かったなんてことも語られている。