望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

感染と共存する生活様式

 各国で公共交通の乗車時や店舗内などでのマスク着用が義務化され、欧米でも外出時のマスク着用者が珍しくなくなった。日本でも営業再開した店舗などで店員がマスクに加えて透明なフェイスガードを装着して接客する。新しく出現した奇異な装いに見えるが、違和感を言うことは憚られる気配だ。

 第2波、第3波がいずれ来るとの想定を皆で共有しているから、マスクやフェイスガード、飲食店などでの客ごとの透明ボード間仕切りや客席減などの感染防止策をやむをえないと受け入れている。新しい生活様式はしばらく続きそうだが、新しい生活様式が定着するには感染拡大の恐怖が続くことが不可欠だ。

 新型コロナウイルスの感染が終息するか、ワクチンや治療薬が開発されるか、インフルエンザ同様の感染症として過剰な恐れを人々が持たなくなれば、新しい生活様式は役目を終える。そうなれば、2020年に世界で人々は不安に圧倒されて、奇妙な行動をしていたと振り返って笑うことができよう。だが、感染の不安が続くなら新しい生活様式が日常として定着する。

 人と会うことや会食すること、大勢が集まること、旅行することなどを制限する新しい生活様式は、人々がこれまで築いた文化の否定でもある。対人距離の遠近は相手との親密さの反映であったが、誰をも感染者だとみなして2メートルの距離を保つのは、常に他人に警戒心を持つことである。新しい生活様式は不自然すぎる生活様式だ。

 感染の恐怖から新しい生活様式を我慢して人々は受け入れているのだろうが、我慢には限界がある。感染が続いていたとしても、いつか人々は徐々に新しい生活様式を捨て、元の生活様式に戻る。その時が、感染と共存する生活様式に移行する時だ。その生活様式は、国などから指示された一方的なものではなく、人々が生み出すものだ。

 感染と共存する生活様式とは、恐怖心から過剰さが抜け落ち、「正しく」恐れる日常だろう。何が「正しく」恐れることなのか曖昧だが、おそらく今後も感染者や死者を出しながら、感染者の大半は風邪に罹患した程度で済むと見極め、感染することもありうると覚悟して、人と会って会話し、会食し、大勢が集まったり旅行することなどで生活を楽しむ。

 今回のコロナ禍で各国は人々の行動を規制し、生活に細々と注文をつけた。非常事態だからと大半の人々は従ったが、長引くにつれて規制に縛られずに行動する人々も増えた。非常時には国家が前面に出たが、感染が続くことを含めた新しい生活が続くにつれて人々は個人を主張し始め、国家の過剰な束縛を排する。ただし、自分で判断することができない個人は国家が指示する新しい生活様式に従うしかないだろう。