望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

民主主義を支えるもの

 制度としての民主主義(自由選挙)は世界各国で定着しているように見えるが、その結果として各国で民主主義の理念が実現しているとは限らない。強い指導力を誇示する強権的な人物に権力が与えられる国もあり、内政でも外交でも摩擦が起きていたりし、制度としての民主主義の機能不全が嘆かれたりする。

 もちろん全ての国で混乱が増えているわけではなく、制度としての民主主義により波紋が広がっても、政治も社会も基本的に安定している国は多い。一方で、潜在していた分裂が自由選挙によって表面化したり、対立が先鋭化する国も珍しくなくなった。

 制度としての民主主義は、どんな国でも導入可能だろうが、制度としての民主主義は理念としての民主主義の実現を保証するものではない。制度としての民主主義によって安定した社会を維持し、理念としての民主主義を実現するためには、おそらく社会に制度としての民主主義以外の何かの要素が備わっている必要がある。

 制度としての民主主義を定着させ、理念としての民主主義を支えるものは、はるか以前から社会に存在したものだろう。それは長い歴史の中で培われた、人々が共存する仕組み(他者の尊重や異論の尊重=異質なものを排除しない、自制心の奨励、互いの寛容、合意形成の重視など)が、制度としての民主主義を通して社会の安定につながっている。

 そうした歴史的な共同体を支えてきた共存する仕組みが、どの国にも存在するわけではない。例えば、植民地の境界を国境として独立した国では民族が混在していることが多く、形成された「国民」による共同体としての歴史に欠ける。他者や異論を尊重せず、互いに寛容にならず、合意形成より自己主張を重視する人々により形成された社会では、制度としての民主主義を通して分裂や対立が表面化する。

 また、移民や難民の流入によって歴史的な共同体が変質している国で、それぞれの自己主張が強くなると、共存する仕組みも変質せざるを得ないだろう。その変質が共存を強める方向に向かうものなら社会の安定は維持されようが、利害対立などに基づき個別集団の自己主張が活発化すると分裂や対立が先鋭化する方向に向かう。

 共存する仕組みが変質したり、崩壊し始めた社会では、制度としての民主主義が機能していないように見えたりする。人々が共存を重視しなくなった社会では、理念としての民主主義はぼやける。言い方を変えると、理念としての民主主義は分裂する集団の数だけ現れる。そうした細分化された民主主義は、共存する仕組みが崩壊した社会を立て直すためには無力だろう。