望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

可能性がある

 「可能性がある」という言い方は、「明日は雨が降るだろう」など将来に起きるだろうことを述べるときや、「ロシア軍は大規模な作戦を準備している」など事実として確認できないが多くの情報から導き出された推察を述べるときに使われる。「可能性がある」には将来予測と推定の2通りあるが、その可能性の確率が示されることはほとんどない。

 「1%の可能性がある」と「30%の可能性がある」や「50%の可能性がある」「80%の可能性がある」などでは、可能性の重みが異なる。どこかに大地震が起きる可能性が1%と70%では人々の用心する心構えは違うだろう。雨が降る確率が1%では傘を持たずに出かける人が大半だろうが、80%ではほとんどの人は傘を持って出かけるだろう。

 「可能性がある」とだけ言われた場合、つい50%以上の可能性があるなどと受け止めたりするが、「可能性がある」の文言だけでは、本当に何かが実現したり存在する可能性があるのかどうかは不明だ。確率が示されない「可能性がある」は、「そんな気がする」「〜かもしれない」程度の曖昧な言い方だ。

 確率が示されない「可能性がある」の文言はマスメディアにもSNSにも多い。確率を考慮せず、感覚だけで「可能性がある」を使用している場合は珍しくなさそうで、「可能性がある」は便利な文言なのだろう。主観による思い込みで、せいぜい数%程度の可能性を70%程度に格上げして思い込み、「@@の可能性がある」などと言い立てたりもする人もいそうだ。

 科学における将来予測において可能性は確率をもって表現される。確率を導き出す根拠が検証されて、確率の数字が妥当だと認められて初めて科学的に「可能性がある」との表現が許される。だが、例えば気候変動関連のように、マスメディアが報じるときには煩雑な数字(確率)は略され、気候変動により「@@が起きる可能性が高い」などと危機感を煽る警告として報じられたりする。

 科学における将来予測で確率が最も高いのは日食や月食の予想だ。はるか以前から正確な日時が示される。実際に日食や月食が起きる確率はおそらく99%以上だろう。気象予想は観測精度の向上や数値計算の高性能化などで正確さは以前よりも増しているとされるが、不確定要素(予知できない気象現象)が多く、安定して高い確率で予想することは難しそうだ。
 
 確率を示すことができない対象もある。例えば、神や仏や来世や幽霊などの存在は検証できないので、存在するとも存在しないとも言える。この場合には「存在する可能性がある」とか「存在しない可能性がある」などと曖昧にするしかない。人の心にのみ根拠を有する事柄は、可能性の判断も心境次第になる。