望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

後進国の成功

 買ったものの少し読んだだけで、そのまま本棚に置かれたままになる本がある。読み続けなかった理由は、興味が続かなかったとか、先に読みたい本が出てきたとか、いつでも読むことができると思って忘れたとか、仕事などが忙しくなり読書の時間が持てないままに忘れたとか様々だろうが、数年〜数十年後に、ふと本棚で見つけ、読み始めて、「おもしろいじゃないか」などと感じることがある。

 最近、本棚で見つけて読み始めたのは加藤周一氏の『世界漫遊記』(講談社学術文庫、1977年刊)だ。どこかの古書店で入手したはずだが、いつごろ買ったものなのかは忘れてしまった。読み始めて、おぼろげな記憶も湧かないので、おそらく読んではいない本だ。これは、1964年に初版が出て、1971年に1篇を加えた新版が刊行された書籍を文庫化したものだ。

 この本で加藤氏は、米ソが鋭く対立した冷戦期の1960年代前半に米国やカナダ、メキシコ、香港、インド、ソ連、仏、オーストリア、西独、スペイン、英を訪れて見聞したことや考えたことなどを綴っている。語学に堪能な加藤氏は各地で現地の人々と交流し、会話し、議論した。海外旅行がまだ特別な体験だった当時、こうした海外事情は注目されたに違いない。

 世界的に経済の底上げが進み、社会主義が衰退し、民主主義が無条件に至上のものとは見なされなくなり、先進国以外の国の自己主張がフツーになるという大きく当時とは変化した現代から見れば、時代の制約を感じさせる記述も目につくが、実際に世界各国を訪問して滞在して得た見聞や感想などは当時の各国事情を伝えるものとして興味深い。加藤氏は当時の各国の様子(建築や街並み、演劇や美術や音楽や政治情勢など)や人々の様子を伝えた。

 この本の中に以下のような興味深い記述を見つけた。

 「後進国が短い間に強大になろうとするときには、国内では民主主義の犠牲のもとに統一が行なわれ、国外に対しては戦闘的なナショナリズムのあらわれるのが一般的な傾向であるかもしれない。
 たとえば明治維新以後の日本、ビスマルク以後のドイツ、スターリン時代のソ連……もちろん《民主主義の犠牲》がスターリン治下のソ連でほど徹底するとはかぎらないし、《戦闘的なナショナリズム》がヒトラーの場合のように侵略的になるとはかぎらない。その国により、その時代により、事情はちがい、発展の仕方もちがうだろう」

 短い間に強大になった後進国とは現代においては中国だと多くの人は思い浮かべるだろう。確かに現在の中国は「国内では民主主義の犠牲のもとに統一が行なわれ、国外に対しては戦闘的なナショナリズム」が現れている。中国は欧米日などから資本と技術を取り入れ、世界への輸出基地になることで目覚ましい経済成長を遂げたが、その経済成長は独裁権力をも強化する結果となった。

 歴史的に「後進国の成功」には類似パターンがあるように見え、後進国が強大になる過程を一般理論化できそうだと加藤氏は示唆する。「明治維新以後の日本、ビスマルク以後のドイツ、スターリン時代のソ連」と同じような行路を中国が今後たどるとすれば、粗暴な帝国主義国になって周辺国に対する軍事行動を起こすことになる。どうか一般理論から中国は外れて、平和理に成熟した先進国の仲間入りすることを願いたいものだ。