望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

自由な音楽

 4人組の「たま」というバンドがあった。アコースティック楽器を主に使い、テレビの勝ち抜きバンド合戦番組で有名になり、「さよなら人類」のヒット曲があった。オリジナル曲を演奏したが、歌詞は言葉のイメージが飛躍して交雑し、独自の詞の世界を構築していた。最初のアルバムは「サンダル」。2003年に解散した。

 たまについて竹中労氏が1990年、「たまの本」を上梓し、まえがきで「一聴、ぼくは彼らのとりこになった。詞をなぞって言えば胸いっぱいに、かなしいいろの水が充ちあふれた。どのバンドよりも彼らは、ユニークでしかも普遍的な、人生の夢まぼろしを詠っていた、滅びのうたと言ってもいい。さんらんと、世紀末を飛び去りゆく、光のように」。

 次いで本文から。
「知久 同じ歌でも、どんどん変えていったり。
竹中 『らんちう』という曲は、初期のテープを聴いたら、ずいぶん違うんだね。唄いだしがデュエットでしょう、柳原くんと石川くんの」

「竹中 いつごろからなの? 台詞をライブごとに変えてみたり、演奏が割りこんできたりするようになったのは。
知久 ウン、柳さんのせいですね。
石川 メロディも歌詞も、ちゃんと覚えられないんですよ。
知久 微妙なところがさ、ちょっと、こう狂っちゃうの。とくに語尾が、でも何とかしなきゃいけないから。
石川 たまたま、アドリブになっちゃったわけですね。
竹中 でもそれが実にユニイクなんだ。
滝本 たとえば『さよなら人類』。シングルをつくったとき、間奏の部分を三回だったかな、入れ直して、そしたら歌詞も変わっちゃって、それからずっとそのまんま」

 人々が即興で歌い、演奏する音楽は今でも世界各地にあふれているだろう。だが、商品化された音楽は著作権に保護され、ファンはCDや配信で聴いたヒット曲をコンサートで聴きたがり、歌い手や演奏者の自由気ままな表現は制約される。興にのった歌い手が即興の歌詞で歌い続けたり演奏者が自由に演奏を続けることは、ショービジネスの世界では限定されよう(ライブでは、ステージ背後のスクリーンの映像や照明の変化と演奏がコラボするようになった)。

 商品化された音楽は、聴いて楽しむ音楽だ。商品化されない音楽には、自由気ままに歌う楽しみ、演奏する楽しみがある。さらに、商品化された音楽でも、自分で歌い演奏するときには自由気ままさが許され、例えば、カラオケで自由気ままに歌って楽しんでいる人は多いだろう(譜面通りに歌うことが上手なのか、自分の節回しで自由気ままに歌うことができるほうが上手なのか、解釈は分かれよう)。うたが私有物から共有物になっても、自由な表現を誰もが楽しむことができるなら、歌は自由であり、気ままな表現が生まれよう。