望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

なんとかなる

 ウクライナにとって2022年の2月23日は戦前だった。翌24日にロシア軍が侵攻を開始し、ウクライナは戦中となった。ロシアが軍を引き上げる気配は見えず、和平に向けての動きは双方に希薄で、和平を促す調停者(国)も現れない。ウクライナにとって戦後がいつ始まるのか全く見当がつかない状況だ。

 戦前とは戦争が開始される前の期間であり、戦争が終わった後が戦後だ。戦争が始まった時に戦前が終わり、戦争が終わった時から戦後が始まるのだが、世界では戦争が絶滅したわけではないので、一つの戦争が終わった時に戦後が始まる。それと同時に新たな戦前が始まる。戦前と戦後は重複しているのが世界の現実だ。

 例えば、イラクは1990年8月2日にクウェートに侵攻したが、1991年1月17日に多国籍軍イラク攻撃が始まり、同年2月28日に米国大統領が停戦を宣言し、湾岸戦争は終わった。イラクは2003年3月20日から米国など有志同盟軍の侵攻を受け、同年5月1日に米国大統領は戦闘終結宣言を行った。イラク人による正式な政府が発足したのは2006年で、米軍が撤退したのは2011年12月。

 イラクにおける戦前と戦後は入り乱れ、サダム・フセインによる強権統治の終了後は武装組織によるテロも頻発するなど、イラクの人々にとっては戦中が続いていた感覚かもしれない。次の戦争がいつか始まるという世界では、戦前とか戦後という実感は希薄で、戦中と戦前があるだけかもしれない。

 自衛以外の戦争を放棄した日本では第二次世界大戦終結から戦後が続いている。自衛以外の次の戦争は許されないという建前なので、戦前と戦後は明確だ。だから「今は戦前だ」などと危機感を煽るタレントの発言が注目されたりする。戦後という概念は日本では特別な意味を有するが、日本以外の国ではおそらく特別の意味も価値も持たない言葉で、戦前と戦後の区別などは曖昧だろう。

 世の中が悪くなっているとの見方が年配者から示された場合、それが客観的な判断によるものか、加齢に伴う悲観的な感情によるものか見極めが必要だ。若い時には世情に関わりなく好きなように振る舞っていた人が、加齢とともに世情を憂いたりするのは珍しいことではない。悲観的な見方は老いの表れの一つだと見なせば年配者の世情を憂うる発言は割り引いて聞いておくべきか。

 「世の中は悪くなっている」などの発言は昔から多くの人々が繰り返してきた。危機感を煽ることで自分の発言の重みを増す狙いだったりもする。危機感を煽る言説に共通するのは情緒が優先することで、客観的な検証などは忘れられる。そうした危機感を煽る言説に惑わされないための手っ取り早い対応は「なんとかなるさ」とつぶやくことだ。世の中は悪くなっている? なんとかなるさ。