望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

日本語表記の変化が意味するもの

 こんなコラムを2001年に書いていました。

 日本語の表記の変化は避けられないようです。具体的に言うと、漢字、かな、カタカナが従来の日本語表記で用いる文字でしたが、そこにアルファベットも加わります。すでにパソコン雑誌などでは定着した表記法ですが、今後は、より一般化するでしょう。アルファベットを混ぜ書きしやすくするために週刊誌、新聞などが横組みに変わるのは相当先でしょうが、今世紀半ばまでには、新聞などを含めて横組みになるでしょう。

 そう考える根拠は、日本における知の受容形態(方法)にあります。

 隋・唐の昔から、日本人にとって新しい概念・知識・技術は中国から来ました。それを受け入れる時、漢字も受け入れました。インドからの仏教も中国経由で漢字で受け入れました。

 西洋との交流が始まり、新しい概念・知識・技術が次第に中国よりも西洋から来るようになりましたが、西洋の個人名、地名なども含めて漢字にして受け入れていました。

 つまり新しい概念・知識・技術は漢字を使って日本語の中に取り入れるというのが、日本における知の受容形態(方法)だったのです。

 それが明治以降、特に敗戦後、西洋から流入する新しい概念・知識・技術の量が多くなるにつれ、いちいち漢字に置き換えることが間に合わなくなり、次第にアルファベットを日本語読みしてカタカナにして日本語に受け入れるようになりました。

 現在では、西洋からの新しい概念・知識・技術をいちいち漢字にすることもなくなりました。一方でカタカナ語の氾濫を憂うる声も強いなど、定義がぼやけているカタカナ語では、それが意味する新しい概念・知識・技術が伝えにくくなっています。

 歳月とともに世代は入れ替わります。J・ポップなどではアルファベット混ぜ書きの歌詞が一般化しています。だから若い世代は英語に堪能だなどとは言えませんが、アルファベットへの抵抗感は少ないでしょう。また、漢文より英語を読むことのできる人のほうが多くなるでしょう。

 そうした諸々の結果、日本における新しい概念・知識・技術の受容形態(方法)として漢字の使用が放棄され、新しい概念・知識・技術の流出先=西洋の言葉(特に英語)をそのまま使用するようになる。

 日本語表記が漢字、かな、カタカナとアルファベットの混ぜ書きになるということは、単なる流行ではなく、日本人の意識の歴史的な変化の結果なのです。