望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

武士道と極東国際軍事裁判


モノノフ「戦に負ければ、大将が責任をとるのは当然じゃ。自害すること。それが大将の責任の取り方じゃ。乱戦になって自害する間もなく敵に捕えられれば、それこそ俎板の上の鯉、どうとでも好きにせいと、覚悟を決める。それしかない。敵の大将の前に引き摺り出されて首をはねられるか、いきなり袈裟懸けに斬られるか、柱に結わいつけられて槍で突かれるか、それは相手が決めること。戦に負けた大将が殺されるのは当然じゃ」


槍持ち 「しかし、戦が続いている時ならともかく、戦の勝敗もついて、平時になってから殺すというのは可哀想じゃありませんか」


モノノフ「戦に負けた大将が、敵から情けをかけられて生き延びるというのは恥辱を与えられるのと同じこと。戦に負けた大将は、殺してやるのが武士の情けというものじゃ」


槍持ち 「武士の魂を本当に持っている日本人なら、その場に応じて出処進退を間違えないでしょうが、武士の魂を持っている日本人なんて、もともと多くはいないでしょう。だから、武士道と言って殊更言い立てなければならなかった。それが現実。人口比で見ると武士は少数です。日本人の多くは農工商の部類。日本人一般のモラルとして武士道を持ち出されても、それこそ、欧州から持って来た共産主義の理念を日本に当てはめようとするのと同類の発想でしょう」


モノノフ「武士の子は武士だ。しかし、戦国の世では、手柄を立てれば百姓の子でも武士になることはできた。秀吉がいい例じゃ。幕末には多くの百姓が刀をとって武士になった。なろうと思えば誰でも武士にはなれる。ただ、戦乱の世ではない時に、武士として生きるのは簡単じゃないぞ。平時に武士は必要ないからな。社会に必要のない存在が生き延びるためには、隅っこで小さくなっているか、逆に大威張りで開き直るかじゃ。威張るためには理由付けが必要じゃ。それが武士道というもの。大半の武士が実際に出来もしないことを、さも全ての武士がそうであったように理想化して誤摩化しているのが武士道というものの実態じゃ」


槍持ち 「しかし、ただの理想でしかなかったのなら、これほど伝わることは無かったはず。何かが武士道の中にあったからこそ、今に伝わっているのではありませんか」


モノノフ「おそらく、日本人の感性に訴えかけてくる理念が含まれていたんだろう。日本人の生活の中にはないが、錯覚して郷愁を感じさせるような何かがじゃ」


槍持ち 「戦に負けた日本軍の大将らが、勝った側に一方的に裁かれたと、70年以上経ってからも言い立て被害者意識を煽り立てる手合いもいるようですが、なるほど、日本人は武士道から遠く離れたところに行ってしまったようです」


モノノフ「坂口安吾が、天皇を最も信奉しているように振る舞っていた連中が天皇を最も利用していたと書いていたが、それに倣うと、武士道を言い立てる連中が最も武士道を利用しているということじゃ。武士道をモラルと言い立てるのなら、自らの出処進退で実践すること。それが出来ないのは、腹を切る覚悟もなしに刀を持って武士を任じる連中と同類じゃ。威張ってみたいだけじゃろう」