望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

スタートから大差

 昨今はあまり見かけなくなった「グローバルスタンダード」という言葉、実際はアメリカンスタンダードじゃないかとの批判もあって消えたのか、「改革」は避けられないという意識を日本人に植え付けたから役目を終えて消えたのか、どちらかは知らないが、うさんくさい言葉だった。

 日本経済は構造改革をしなければならないーということは議論の余地のない共通認識になったようだ。なぜか。成長率が下がり、GDPは縮小し、企業は売り上げ減少で人減らしをして何とか持ちこたえている。デフレつまり日本経済が縮小する中、切り詰めてスリム化する以外に生き残る道はないーように見えるからだ。でも構造改革ってデフレ対策のことだったっけ? 

 日本はどんな社会になるのがいいのか。右肩上がりの成長は暫くはないだろうから、ここらで立ち止まって考えてみよう。貧富の格差が拡大し、少数の「勝ち組」と多数の「負け組」に分かれる日本社会がいいのか。会社に「貢献」する社員以外は常にリストラの対象になる社会がいいのか。根本のところでの議論がない。つまりグローバルにしろアメリカンにしろ、どこかのスタンダードを日本に当てはめようとする論は、日本人の思考停止状態に乗っかったものである。

 ありていに言えば、もっともらしいことを言ってる連中も実は自前の構想力がなく、何かをどこかから借りてきて、さも自分で考えたような顔をしているってことだ。ありがたがって聴いている連中もご同様で、受け入れるだけ。更に言えば、競争を賛美するアメリカにだって弱者保護の仕組みはいろいろあるのに、そこらは無視される。「切り捨てられる」日本人らはどういう振る舞いに出るのだろうか。

 「勝者はますます多くを取る」というアメリカンスタンダードを、国際経済的には「負け組」である日本が取り入れるというのは、スタートから差がついている状態である。ついでに言えば、アメリカは口ではフェアを尊ぶというが、国際的盗聴システムに代表されるように、やっていることはフェアという価値観に関係ない。そんなアメリカに普通の日本人が対抗できるか。日本の外交と同じ程度であろう。