望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

雨が降っているから

 「雨が降っているから、天気が悪い」式の言い方がある。これは「晴れているから、天気がいい」という言い方にもなったりする。これらの言い方は正しい。間違ってはいない。誰も文句のつけようがない言い方だが、言われたほうは「そんなの、当たり前だろう」と聞き流すしかない言い方でもある。



 こうした言い方には新しい情報や独自の分析、知見、見識などが含まれていないことに、天気のことだから誰でも気がつくだろう。だが、日常生活に大きく関わらないような分野や関心を余り持たれない分野のことになると、専門家が「雨が降っているから、天気が悪い」式の言い方をしても、そうした発言の“浅さ”は気付かれにくい。聞き手側の情報蓄積量が乏しいからだ。



 「雨が降っているから、天気が悪い」式の言い方は、1)雨が降っているという状況分析を行い、2)そこから、天気が悪いという判断を導き出すという構成。冷静で客観的な見方なのだろうが、専門家ならば「なぜ雨が降っているのか」「雨が降っている範囲はどこか」「雨の降り方はどう変化するか」「雨はいつまで続くのか」「その時の雨の特徴は何か」などを天気図やレーダー映像などを駆使して説明して欲しいところだ。



 こうした言い方で最も残念なのは、「雨が降っている」ということから「天気が悪い」という結論しか導き出せていない点だろう。そんな凡庸な結論なら、知識があれば素人でも言うことができる。政治、経済、事件・事故、芸能、文化、科学、国際情勢など多様な情報が氾濫する現在、専門家の出番も増えているが、当たり障りのない「天気が悪い」式の言い方で済まされることも珍しくない。



 様々な情報を収集、分析して状況を理解し、そこから、蓄積した専門知識を活用して独自の見通しを立てるのが専門家には求められるが、事態が流動的で見通しが立てられない場合もある。それで、見通しを求められた時に「天気が悪い」式の言い方で、お茶を濁すこともあるのかもしれない。



 本人が意識せずに「天気が悪い」式の発言で済ましているケースで、「そんなの、当たり前だろう」などと批判されたなら当人は、結論が凡庸であることに気がつくだろうか。専門的な情報や専門知識を開陳して、専門家ならではの見通しを披露したつもりの当人は、そうした批判を容易には受け入れられないかもしれない。



 凡庸な結論と独創的な結論。同じような情報から導き出す見通しが違ってくるのは、情報量や情報の質の違いなども関係していようが、おそらく、分析的で多様な見方を身につけているかどうか、ヒラメキがあるかどうかが関わっている。情報を集めることは努力すれば誰にでも可能だが、そこから独自の分析結果を導き出すことは、専門家であっても誰にでもできることではないのだろう。