望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

「異常」が日常化?

 2013年の夏の日本は広い範囲で猛暑となり、高知県四万十市では最高気温が41.0度となって記録を更新し、話題となった。東日本から西日本の太平洋側などでは小雨となり、干上がりつつあるダムの様子などが繰り返し報じられた一方、西日本から東日本の日本海側などでは猛烈な豪雨となった。猛暑や小雨、豪雨はマスコミで連日、大きな扱いだった。



 同年の夏について気象庁の異常気象分析検討会は「異常気象だった」とした。何をもって異常とするかというと気象庁は、「過去30年の気候に対して著しい偏りを示した天候」とし、「過去に経験した現象から大きく外れた現象で、人が一生の間にまれにしか経験しない(過去数十年に1回程度の頻度で発生した)現象」ともしているそうだ。



 ずいぶん感覚的な定義だ。これなら、「異常」に敏感になればなるほど、異常気象と判断しやすくなる懸念もある。気象学は科学であるはずだから、客観的な数字に基づく「異常」の定義がなければならないが、百年や二百年の近代気象学の蓄積ではまだデータ量が不足で、「異常」も「正常」も揺れ動くということか。



 異常気象分析検討会会長の木本教授は、地球温暖化が猛暑に影響した可能性も指摘し、気温上昇とともに「局地的な強い雨もさらに増え、強さも増すのではないか」と話したそうだ。「温暖化」は魔法の言葉だ。異常気象なるものの説明には、この言葉が添えられることが多く、この言葉を発する人は憂い顔をするのが習いとなった印象だ。



 猛暑や小雨、豪雨は誰もが「たまらん」と直感できる気象現象であり、そこに「温暖化によるもの」と専門家が説明すれば、納得しやすいだろう。細かなデータを示されるよりは、専門家が断定してくれたほうが人々は受け入れやすいのかもしれない。でも専門家は、異常気象や温暖化からの「出口」を示してはくれない。



 同年の夏は異常気象であり、温暖化に起因する気象現象かもしれないが、地球の気象史の中で、どう位置づけるべきかということは不明だ。CO2排出増などによる人為的なものか、数百年、数千年、数万年単位の気候変動の現れなのかは誰にも判断がつかないというのが正直なところだろう。



 つまり、異常気象なるものと人類は今後も、付き合って行かざるを得ない。猛暑の夏が続くなら、涼しい地方に人口移動すべきだし、小雨に備えた渇水対策や、豪雨に備えて地盤が安定した高台などへの住宅地の移転などを政策として推進すべきだが……おそらく、毎年、異常気象を嘆き、案じることだけが繰り返されそうだ。