望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

世界を評価する

  英教育専門誌が行う「世界の大学ランキング」で東大や京大など日本の大学の順位が下がり、数年前にはアジア首位をシンガポール国立大に譲り、順位を上げた北京大にも抜かれたと報じられた。世界の上位200校に入った日本の大学は2校だけだなどと、日本の大学の“国際競争力”の低下を示すと受け取られた。

 このランキングは、論文の引用頻度や教員スタッフ1人当たりの学生数、留学生の数、産業界からの収入など13の指標で評価しているという。こうしたランキングでは、低評価された側から不満が出るだろうし、評価の適正さについて厳しい目が向けられるだろうから、公平公正さを保つべく客観性には留意されているのだろう。恣意性や主観が含まれていることを感じさせてはランキングの信憑性が損なわれる。

 でも、例えば、論文の引用頻度は大学に在籍する研究者の独創性など質の高さを示す指標にはなるだろうが、論文の引用頻度が高いから、一般の学生の学習環境も良いとはいえない。留学生の数が多ければグローバル化が進んでいるようだが、必ずしも学習意欲の高い優秀な人間だけが留学するわけでもない。産学協同が進んでいるからといって、豊富な研究費で自由な研究が行われているわけでもない。

 個別の大学には特色があるから、多くの指標を積み重ねて評価するのだろうが、多くの指標を集めれば正しいランキングが誕生するわけではない。例えば、自動車にはセダン、ワゴン、SUV、スポーツカーに加え商用車もある。快適性や操縦性、走破性、耐久性、積載量などの指標を積み重ねて総合して全自動車のランキングを作成しても、意味がないだろう。プリウスかポルシェかハイエースか、用途や好みによって選ぶだけだ。

 だが世界ランキングは世界を理解する参考にはなる。こうした世界ランキングは欧米から発表されることが多い。都市や観光地、ブランド、民間企業、エアライン、空港、ホテルなど何にでも世界ランキングがある。各国の行政機関の腐敗度ランクなんてものもある。一方で日本発の世界ランキングといって、すぐに思いつくようなものはない。

 欧米から様々な世界ランキングが出るのに、日本から出てこないのは、世界を理解しようとする発想が欧米と日本では異なるからかもしれない。多様で複雑な世界を理解するために欧米は、情報を収集して分類して整理する。だから、世界ランキングを作成することが可能になる。日本でも同じように情報を収集していれば、欧米発の世界ランキングを検証することが可能になるのだが。

 世界から情報を収集して分類して整理することで欧米から見える世界と、日本から見える世界とは異なっているのかもしれない。データに基づくなら、より客観的に見えるだろうが、データに乏しければ主観の影響を受けやすい。