望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

借り物の正義

 自粛警察と呼ばれる行為として報じられているのは、▽飲食店のドアに「営業するな!火付けるぞ!」と書かれた段ボールを貼り付けた▽居酒屋やライブバーに「この様な事態でまだ営業しますか?」「自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます 近所の人」と貼り紙をした、など店舗に対する脅し(営業妨害)だ。

 他にも▽人出が多いと報道された商店街に「商店街のすべての店を閉めさせろ」「ほかの店は閉めているのに利益をあげているのは最低だ」など電話や手紙で主張▽県外ナンバーの車に傷を付けたり、あおり運転をした、などの事例も報じられている。コロナ警察と呼ばれる行為もあり、マスクの非着用者や対人距離をあけない人などを批判・攻撃したりする。

 こうした嫌がらせや中傷は、過剰な正義感の現れとみなされる一方、歪んだ正義感ともされる。何を正義とするかは個人の主観によるが、社会や集団に共有される正義もあり、その時々で正義とされるものもある。多くの人々が自粛している中で、個人の判断に委ねられるはずの自粛を強要することが正義だとする慌て者が現れ、自粛警察となったか。

 社会が共有する正義は法制化により強制力を持つ。政府の要請による自粛は正義ではなく行動規範なのだが、これを正義だとうっかり絶対視し、その正義で自己の行動を正当化して「取締り」に動いた自粛警察の人々。その心理や動機は様々だろうが、不安や不満のはけ口を誰かを罰することに求めているなどの解釈がある。

 自粛警察の特徴は匿名性だ。正義を振りかざすのだから堂々と主張すればよいのに、こそこそと貼り紙をしたりする。なぜ自分を隠すのか。その理由は第一に、借り物の正義に基づくから相手から反論されることを恐れる、第二に、他人に強制できないことを知っている、第三に、人前に出られない事情がある、などが考えられる。

 欧米などでは厳しいロックダウンに抗議する人々が集会に参集したりして主張するが、日本では自粛要請に対する人々からの抗議や批判は見えない。感染を恐れて多くの人は我慢して自粛しているのだろうが、その我慢が情緒に影響を与え、自粛していないとみられる対象を攻撃する人が現れるのだとすると、歪んだ情緒を自覚しているから匿名になるのか。

 匿名といえば、養護施設にランドセルを寄贈する行為が代表例だ。マスコミに大きく取り上げられ、ランドセルを贈った人は満足しているだろう。自粛警察も同様にマスコミの称賛を期待したのかもしれないが、飲食店のドアに「営業するな」との段ボールを貼り付けた男は威力業務妨害の疑いで逮捕され、官房長官は「法令に違反する場合は関係機関で適切に対処」と自粛警察を歓迎している様子はない。自粛警察は匿名性の中に隠れるしかないようだ。