望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

芸人の性

 「役者買い」ということが江戸時代には行われていた。これは富裕層の女性らが歌舞伎役者やその見習いを宴席に招いて相手をさせることで、時には性行為の相手もさせたという。歌舞伎というと現代では日本を代表する伝統芸能とされ、歌舞伎役者は芸人の中では最上位とみなされる。だが、テレビなどのない当時、歌舞伎役者は知名度が高い存在で憧れられるとともに、芸人として見下される存在であったのかもしれない。

 全ての歌舞伎役者が客に呼ばれて寝間の相手をしていたのかどうかは定かではないが、役者の人気に応じて宴席に呼ぶ費用は高くなったであろうし、見習いらは時には旦那衆に呼ばれることもあったというから、当時の芸人を代表する歌舞伎役者(と見習い)の性は売り買いされるものだった。

 現代では芸人のメーン舞台はテレビで、芸人を代表するのは歌舞伎役者ではなく、いわゆるタレントになった。プロダクションなどに所属したタレントはもう宴席に出て謝礼を稼ぐ必要はなくなっただろうし、宴席にタレントを呼ぶことが簡単にできるとも聞かない。業界有力者相手の宴席にはタレントは出ているとも漏れ伝わるが、実態は不明だ。

 金さえあれば宴席にタレントを呼んで、時には寝間の相手をさせる「タレント買い」は現代では一般的ではないようだ。一方で、次から次とタレントは増え、ちょっと人気が出ると途端に収入が増えて高ぶり始めるタレントも珍しくなく、歌舞伎役者の階級上昇を意識したのか、セレブの特権階級に滑り込んだと勘違いして自負する手合いも増えた気配だ。

 「タレント買い」が一般的ではなくなり、芸人の性はおおっぴらには売り買いされるものではなくなった。その代わりに、人気があるタレントに近寄るファンが増え、中には親密な関係になるファンもあるとか。人気が出たことがないタレントなら、誰と交際しようと個人の問題でしかないが、人気タレントならマスコミの格好のネタになる。芸人の性は、売り買いされる代わりに、世間に曝されるものになった。

 個人が誰と親密になろうが自由である。人気があるタレントだって、誰と親密になろうが自由で、世間の好奇の目に曝される必要はない……はずだが、話題を集めるために祝事など都合のいい私的な事柄をマスコミにさんざん書いてもらっていたりするので、性に関する交際関係だけをタレントが封じようとするのは身勝手すぎる要求か。

 芸人の性は世間の好奇の的であり、不倫関係ならばセレブぶった芸人を堂々と批判でき、時には糾弾さえできるのだから、タレントの不倫はマスコミにとっては極上のネタだ。不倫を含めて性は私的な領分だが、芸人の性は世間に曝されるものになっている。性が世間に曝されることも特権階級の証しだなどとタレントが勘違いしなければよいのだが。