望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

将来予測とサイコロ

 これからサイコロを1回振って、例えば3が出る確率は6分の1だ。1から6まで、どの数字が出るのかは不確定だから、確率で示すしかない。前(過去)にサイコロを1回振ったときに3が出たのであれば、それは事実として起きたことであり、確かな記録となる。

 これからサイコロを1回振って、3が出ると予想したり予言したり期待したりすることは誰にでも可能だ。それらの予想や予言、期待の正当性を主張し、独自の理論で説明したりすることも誰にでもできるだろう。だが、それらの主張や説明にどんなに説得力があろうと、3が出る確率を変えることはできない(サイコロに細工でもしない限りは)。

 これからサイコロを振ることは未来における行為であり、何かの数字が出ることは未来における現象である。これからサイコロを振ることは止めることができるが、サイコロを振ったなら何らかの数字が出る。未来における行為はコントルール可能だが、その行為の結果としての現象をコントロールすることは難しい。

 サイコロを振るという行為は単純なもので、3が出る確率は6分の1とすぐ分かるが、世の中の出来事は多くの要素が複雑に絡んで起きている。未来における何かの出来事が生じる確率は、多くの要素を勘案しなければならず、時には膨大な計算を要する(例えば、気象予測)。

 未来において生じることは、確実なものと不確実なものが入り混じっている。例えば、次の日に世界のどこかで交通事故が起きることは確実だろうが、いつ、どこで交通事故が起きるのかは予測不可能だ。過去に交通事故が多く発生している場所や事故多発の時間帯などを総合して、交通事故の発生確率を算出することはできようが、その確率は統計的な確率でしかない。

 これから何が起きるのか未来を知りたいとの人間の欲望は強く、天気予報から相場予想、環境変動予想、国際情勢予想など様々な分野で将来予測が溢れている。だが、これから何が起きるのか人間は知ることができないのだから、将来予測の根拠は発生確率であり、確率に基づいた推論が将来予測である。

 将来予測が信頼を得るためには、①発生確率を明記する、②起こり得るケースを列記する、③推論は主観による判断であることを明記することが必要だ。ただし、発生確率が明記されたとしても推論が妥当であるとは限らない。推論を支えるのは主観であり、いくらでも飛躍できる。