望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

確率を見ないから不安になる

 何か良くないことが起きるかもしれないとの不安は誰にもある。その不安の対象は様々だ。自分や家族の健康や経済状態などから住環境のこと、職場などでの人間関係から新法で個人の自由や権利が制限される懸念、さらには日本の巨額の国債発行やら近隣国の軍事的な増強、世界で多発するテロなど挙げればキリがない。

 メディアには各種の不安を煽る記事、論説が氾濫している。なぜ不安を煽るかというと、警鐘を鳴らすのがメディアの役割だとの責任感のほか、そうした書き方をしたほうが読み手の情緒を刺激して訴求力が上がるからだろう。不安を持つ材料には事欠かないのが現実の世界だから、不安を煽る記事、論説はいつまでも繰り返し現れる。

 1年後に何が起きるか、1日後に何が起きるか、1時間後に何が起きるか、1分後に何が起きるか、知っている人はいない。最悪の事態を想定し、具体的な対処を考え備えておくことは有益だろうが、不安を煽られると浮き足立つことにもなりかねない。不安を持っても浮き足立たずにいるためには、どうすべきか。

 それには、第一に、事実を知る。何が起きて、どう進行しているのかを確かめる(主観を混えずに)。第二に、最悪の事態が起きる可能性を確かめる(記事や論説には、最悪の事態が起きる確率が示されていないことが多く、発生の確率を読み手は過大視しやすい)。

 何かが起きるかもしれないというのは、決定した未来ではない。例えば、5%の確率で起きるかもしれない最悪の事態を、50%の確率で起きると勘違いしたなら不安は大きいだろうが、その不安は過大だ。不安という心理は正常な判断を妨げるし、悪い方へと考えが向いて不安は自己増殖しがちだ。不安をコントロールするには、未来予測は確率で判断する習慣を身につけるしかない。

 確率は時間の区切り方次第で変化する。例えば、東京を襲う大地震は、1万年先までを考えるなら発生確率は100%だろうが、1年先までなら発生確率はぐんと低くなるだろう。何かが発生する可能性を確率は示すが、その確率は固定されたものではなく、様々の条件が変われば確率も変わる。

 問題は、将来に起きうることの確率の検証はメディアがなすべきことだが、それが放棄されていることだ。行政機関や研究機関などの発表が垂れ流しされ、さらには記事や論説などで確率が示されることが少なく、不安が煽られるだけという状況を作るためにメディアが役立っていることだけは、かなりの高い確率で断言できる。