望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

政治と希望

 希望とは「ある事の実現を願いのぞむこと。その願い」「将来によせる期待。見通し」(大辞林)、「自分がこう成りたい、人にこうしてもらいたいと、よりよい状態を期待し、その実現を願うこと」(新明解)とされる。つまり、何かの実現を期待することだ。

 何かの実現を期待するということは、その何かは実現していない。また、状況が悪くなることを期待する人はいないだろうから、その何かは希望する側にとって良きことであろう。さらに、ただ待つのではなく、何かが実現することへの積極的な願望が希望という言葉には込められている。

 政治にとって希望とは何か。実現していない政治的な何かを、現在の日本においてイメージするのは簡単ではない。自由選挙や民選議会、三権分立、法の支配、自由な言論、個人の尊厳や自由の尊重などは、世界的に見れば日本は実現されている国だろうから、さらに求められる政治的な希望とは何か、ぼやけている。

 現在の日本において、政治における希望=実現していない何かに対する期待といえば、例えば、憲法改正が代表例だろう。一方に頑迷な護憲論があり、他方に国家権力を強めるための改憲論があり、憲法改正論議は膠着状態だった。憲法改正を希望とする政治家がいて、護憲を希望とする政治家がいる日本。

 主権者にとって政治における希望は、より良き政治が行われることだ(良きことの意味は様々で、立場によって異なる)。政治家にとって政治における最大の希望は権力に関与する地位に就くことだろうが、政治家でいることを最大の希望とする人も珍しくはなく、そうなると希望というより個人の欲望か。

 欲望とは「ほしいと思う心。不足を満たそうと強く求める気持ち」(大辞林)、「精神的・肉体的に常により良い状態に自分を置きたいと思い続けてやまない心」(新明解)と、個人が強く出る。欲望で動く政治家も、希望を語って隠れ蓑にすることができるから見極めが難しい。
 
 かなえるのが希望で、満たすのが欲望だ。誰かの希望が、傍からは欲望としか見えないこともある。政治や政治家には希望も欲望も混じり合っているものなら、うっかり政治や政治家の希望を語る言葉を鵜呑みにすると、彼らの欲望を満たすだけに終わるゾ。