望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

独自性と精神の自由

 トヨタが1967年に発売した2000GTは世界的に名車として認知され、近年の海外オークションでは1億円以上で取引されている。マツダコスモスポーツを発売したのも1967年、ホンダがS800を発売したのは1966年(S500は1963年の発売、S600は1964年)だ。いずれも各社が独自に開発したスポーツカーで、そうした独自開発の歴史が日本にはある。

 1967年の日本の自動車生産台数は大幅に増えて約314万台となり、西独を抜いて世界2位になり、国内保有台数も1000万台を超えた。日本の自動車産業が成長し、各社が開発力を高めて独自のスポーツカーを発売できるようになり、自動車市場も拡大したことが明確になった年といえよう。

 中国の自動車産業は急成長し、2016年の生産台数は2800万台以上で、米国の約1800万台を大きく上回って世界1である。しかし、独自のスポーツカーはもちろん大量生産の大衆車でも、世界的に名を知られるような独自開発車はない。

 中国の自動車メーカーは欧米などの車種を大量に現地生産することで成長した。独自開発車も発売しているのだが、中国以外の市場でも受け入れられるような車種は乏しい。技術を外国から導入するだけで、主要な人材も外国人頼みとあっては、独自開発する技術も意欲も中国人の間に育たない。

 自動車だけではなく様々な分野で、進んだ技術を欧米などから導入することで技術格差を埋め合わせて経済成長を遂げた中国。発展段階の「中抜き」で一気に先進国レベルの産業と社会を構築した中国にとって、時間と手間がかかる独自開発の優先順位は低いだろうから、自分たちでスポーツカーを開発しようなどという動きが生まれてこないのだろう。

 日本は古くから中国文明を受け入れてきたが、明治以降は受け入れ先を西洋に変え、発展した歴史を持つ。現在の中国の経済的な膨張は、西洋から文明を受け入れるという日本式の発展スタイルを取り入れた結果だと見ることができる。だが、日本は西洋の文明の延長上に新たな独自技術を育てたが、中国は基本的には西洋の文明の大規模な模倣を行っているだけとも見える。
 
 独裁統治を続ける中国共産党は「中華民族の偉大な復興」などと人々のプライドを鼓舞することに懸命だが、一方で人権や自由の尊重など西洋の価値観の流入を規制する。個人が尊重されない社会であることが技術者の成長や独自性の発揮にどのように影響しているのか定かではないが、精神の自由がなければ独自性など生まれる余地はないだろう。