自動車の第1号は約130年前の1885年に独で製作されたという。産業としての自動車製造は19世紀終盤に欧州各国で始まり、米のフォードが1913年に流れ作業による大量生産を始め、20世紀中盤には日本が主力生産国に登場するなど世界に広まった。そして20世紀後半からは中国が、輸入を規制していることもあって自動車生産が大きく伸び、市場としても急拡大を続けている。
自動車の保有台数は米国が2億5千万台弱、中国が約9400万台だが、人口1000人当たりで見ると米国は799台、中国は85台と普及率では9倍以上の開きがあり、中国市場に拡大の余地が大きいことは明白だ。ただ人口13億人以上の中国で、米国並みの普及率になった場合、環境負荷は極めて大きく、ガソリン供給にも懸念が出てきそうだ。
自動車産業が発展し、新車需要が活発になった中国でも、いつか自動車消費の主体は代替需要に移り、新車販売の伸びが頭打ちになる日が来るかもしれない。そうなると、増える新車販売に対応した製造体制を構築していたので、生産能力が過剰になる。その場合、1)輸出を増やすことで生産能力を維持する、2)国内市場の縮小に合わせて生産能力も縮小させる、3)外国生産を増やし国内生産を縮小するーーの対応に分かれる。
欧米企業は、成長する中国市場に参入することで自国市場の頭打ちに対応できたが、中国市場が頭打ちになった場合に、巨大化した中国の自動車産業の生産能力を満たしてくれる市場が世界のどこかにあるだろうか。アフリカなどが経済成長を遂げていたなら、中国車の有望な輸出市場になるかもしれないが、希望や期待は必ず実現するものでもない。
世界で生産能力が過剰となれば、淘汰は避けられない。競争力が低下した企業から「退場」していくのがセオリーなのだろうが、現実にはそうはいかない。自動車産業は関連産業の裾野が広く、雇用にかかわるので、政治が絡み、競争力が低下した企業も延命させられることがある。つまり過剰な生産能力は“重し”となって残る。
そうなると政治が、新たな需要の創出を図ることになったりする。古い車の買い替えを半ば強制するため、環境規制を強化したりするが、そうして創出された新規需要が、過剰な生産能力とのギャップを埋めるほどの規模に達するのは簡単ではない。やはり、過剰な生産能力は削減するしかない。市場経済において過剰な生産能力は、成長の必然的結果でもある。