望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





様々な民主主義

 2014年のウクライナの政変で大統領の座を追われたビクトル・ヤヌコビッチはロシアに逃れたが、そこから「民族主義者、ファシストが政権を奪った」と親欧州派の新政権を非難し、自分が正統な大統領だと主張した。ヤヌコビッチは2010年の選挙で僅差で勝って大統領に就任した。民主的な選挙で選出されたという正統性は確かにある。

 一方で、政変後に市民に開放されたヤヌコビッチの邸宅の贅沢さが話題になった。高い塀で囲まれた約140ヘクタールの敷地には5階建ての豪邸のほか、ゴルフ場や屋内テニスコート、サウナ付きの健康センター、射撃場を備えたスポーツクラブ、動物園まであり、市民からは「どれだけの税金と汚職マネーがつぎこまれたのか」などと怒りの声が出た。

 さて、民主的に選出されてはいる政治家が大統領などのポストに就任してから、強権的な政策を行い、大統領の権限を強め、政敵を攻撃・排除する一方で、私腹を肥やし、利権拡大に熱心だというようなロクでもない政治家であることが明確になった場合、民主主義を信奉する人はどうすべきか。

 独裁色を強めたり、腐敗まみれの権力者は早く退場させるのが民主主義社会にとっては望ましいだろう。リコール制度が機能しているなら権力者の任期途中での退場への道筋は分かりやすいが、そうした制度がない場合、対応は2つに分かれる。次の選挙で、もっとマシな人物を選ぶか、すぐに街頭行動などを激化させて社会不安を高め、任期途中でも権力者を辞任に追い込むか。

 ウクライナは街頭行動で任期途中の大統領を追い出すほうを選んだのだが、問題となるのは、政権の正統性。最高会議(議会)議長が大統領代行になり、親欧州派主導で連立政府が発足したが、親ロシア住民が多い東部や南部では新体制への反発が強まった。

 2014年の政変で多数の死者が出たことにヤヌコビッチは責任があるとか、腐敗がひどかったなどと欧米メディアは前体制の批判を続け、親欧州の新体制に民主主義的な正統性が欠如していることはスルー。民主主義って何だろう?という疑問は、欧米に都合がいい世界各地での直接行動なら讃え、都合が悪ければ、民主主義を持ち出して批判するという報道パターンに接するたびに感じる。