望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

絶対の真理なのか

 鉄やアルミ、銅、亜鉛など卑金属を貴金属に転換する技術などを探求する錬金術は欧州などで14〜15世紀に盛んだった。金属の種類を変える技術を確立しようとニュートンらも研究に没頭したという。多くの実験手法や化学的知識が発見された功績は残ったものの、現在では錬金術疑似科学とされる。だが、当時は最先端の科学の試みであった。

 当時は原子や原子核の構造が未解明で、錬金術師は金属を作り替えようと研究に没頭し、黒魔術などに加えカトリックユダヤ教イスラム教などの宗教的信念とも錬金術が結びついて、人間が物質を変化させることができると研究に励んだ。おそらく、そうした研究者は最先端をいく科学者で、真理に近づく試みだと社会は受け止めていた。

 真理を探求するのが科学であるとの受け止め方は現代でも珍しくなく、科学者の主張は絶対の真理であるかのように信じる人もいる。だが、科学は試行錯誤の積み重ねの歴史である。新しい知見が得られることで、それ以前の科学的な了解事項が覆されることは、錬金術や天動説などの例に見られるように何度も起きている。

 常に上書きされ続けるのが科学であると理解すれば、科学的な真理も絶対的な存在ではないと見えてくる。だから、科学とは観察される事象を合理的に説明する体系であるとする科学者の言葉が説得力を持つ。新たな事象が観察されたりすると、新たな理論が必要になり、それまで正しいと理解されていた理論は色あせる。

 例えば、膨張する宇宙の未来は①膨張を続ける、②膨張が止まり平衡状態になる、③膨張が止まると縮小に転じる、のどれかだと考えられていた。だが、宇宙の膨張は加速していることが精密な観測で明らかになり、①(膨張を続ける)が現在では主流の考えとなっている。膨張させているエネルギーが何かが未知なので「宇宙は膨張を続ける」が絶対の真理であるのかは定かではない。

 絶対の真理とみなされるものに聖書やコーランなど聖典がある。伝えられる預言者の言葉は、正しいこと=絶対の真理と信者は受け止め、信仰する。ここでは絶対の真理は客観的な検証を拒否するものであり、絶対の真理を100%受け入れることが宗教行為として現れる。時には、絶対の真理とする宗教を支えとして人間は他者に対して非寛容になることは歴史が示している。

 科学が示す「真理」は、客観的な検証に常に試される。常に不安定であるのが科学的な「真理」であるのだが、宗教の「真理」と同様に絶対的な存在であるとする人々が世界にはけっこう多く存在しているようだ。科学者の主張に沿って世界を作り替えようとする動きが勢いを増している。科学が示す「真理」を武器のように振り回しているとも見え、危機感を声高に言い立てることで、そうした主張を正当化する。