望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

時代相の反映

 「歌は世につれ、世は歌につれ」と流行歌は世相を反映していると見なされ、過去の時代を描写する記事や著作などで当時の流行歌の歌詞が引用されることは珍しくない。その歌を知らなくても歌詞を読むだけで何らかのイメージが湧き出るように感じたりするので、流行歌の歌詞には時代の伝承という意外な役割がある。

 とはいえ数多くの新曲が売り出されては消えて行く中で、どれが、その時代の世相を反映しているのか判断するのは困難だ。ヒットしたり長く歌い継がれた曲の中から後の世になって、時代の流れを見いだしつつ、関連がありそうな歌詞の曲を選んで関係づけているのが実際だ。

 世相を反映するといっても、記事や著作などで引用されるのは歌詞の一部だけで、しかも反映しているのは時代の一部だけだったりする。書き手の意向次第で自由に曲を選択し、歌詞を配置できるので、曲や歌詞が書き手に都合よく利用されている気配だが、読者が共感を持って読むのだとすれば、説得力はあるのだろう。

 流行歌の作り手は、時代を反映させようと意図しているわけではないだろうし、時代を反映させようと作っても歌い継がれなければ消えるだけだ。それに、下手な時代批評や時代をなぞる文言は、流行歌ファンをしらけさせたりし、たちまち色あせたりする。

 作り手の発想に無意識のうちに影響を与えるのが時代の流れだろうが、時代の流れは様々あって複雑だ。いろいろな時代の流れを解釈次第で導き出すことができようが、そうした解釈を補強する材料として、論旨に即した流行歌の歌詞を引用することは書き手にとって便利だ。

 現代の流行歌の歌詞も世相を反映しているのだろうか。ラップ調の曲が増えて歌詞の量も大幅に増えたので、時代を反映する歌詞を見つけるのは簡単そうだが、歌い継がれるラップが存在するか定かではない。パフォーマンスとしてのラップは時代を反映しているだろうが、個人のパフォーマンスは受け継がれていくものではない。

 現代は、歌詞を自作する歌手が増えた時代でもある。それが歌詞の表現を多彩で豊かにしているかどうか判断しかねるが、それらの歌詞から、どのような時代の流れを後の世の人が引き出すのか。知りたいものだが、今の時代の流れの中にいる現代人には見分けが難しい。